IDFCブログ第22回 りつのOBOGとのキャンプ日記 in 山梨
こんにちは。代表のりつです!
今回は大学生活(普段何してるか)がお題なのですが、大学4回生でゼミと卒論しかない私は立命館大学生のくせに内定式に参加するついでにこの3週間ほど実家のある神奈川にいました。
一週間前に久しぶりに京都に戻ってきて後期初めてゼミに出席し卒論に対して少し危機感を感じ始めたところです...(笑)
私の卒論のテーマは離婚家庭の子どもの幸福度に関してですが、今日はその話よりも10月13-14日にあったIDFCのOBOGとのキャンプについて書きます!
OBOGキャンプは今年で3回目。私は昨年度も実行委員を務めていましたが初めての参加でした。
今回はOBOG8人+現役1人の計9名で山梨県のキャンプ場へ。
ふと出発時に気づきましたが、たまたまIDFC2016(2回目の開催)時の実行委員と参加者が集まっていました。当時同じグループのミャンマー人メンバーだったYu Monもいて、すっかり21歳のわたしは18歳のころのわたしに戻って末っ子気分ではしゃいでいました。
参加当時から2年半が過ぎ、当時は学生だった実行委員、参加者も社会人になり、最年少参加者だった私自身も4回生になりました。
IDFCは創立5年目。たった5年、されど5年。ときどき組織の変化の大きさに驚かされます。
1回生で緊張した面持ちで初代代表の橋本悠さんの前に座っていた私が今4代目の代表を務めていること。初年度ミャンマーで開催するだけでも精一杯だったIDFCが今年度初めて両国開催をすること。初年度には考えられなかった挑戦を多くの方に支えられながらこれから実現していくことを思ってOBOGと共有したときのみんなのワクワクした目。
活動していれば必ずしも楽しいことばかりとはいかず、うまくいかなくて歯がゆさに悔し泣きしたり、ふと暗闇に落ちていくような気持になることもあります。でも、IDFCを応援してくれる人と会って話をして素直に今の気持ちや状況を共有すると、ふと家に戻ってきたような感覚で温かい言葉と気持ちに包まれます。苦境に立たされたときに特にそう感じます。
では、IDFCってどんな場なのか。
夜、火を囲みながら個々人がこれからどんな挑戦をしていくのかを聞いたり、しょうもない話で大笑いしたり。
各々が普段の生活では違う方向を見つめて活動をながらも、IDFCでは同じ目標を目指して一緒に進んでいく。それは卒業してもいえることで、今回話すとやはり自分の道を妥協せず歩んでいる人達ばかりで、そんな中での苦悩もワクワクもふと帰ってきて分かち合える場所なんだなあと実感しました。
創設者の橋本悠さんにキャンプ終了後にメッセージしたところ、「来年はOBとしてまた行こうね!」というメッセージをいただき、ああ、あと現役としてIDFCに関われるのも半年だけだと、半年後のIDFCを想像して期待(&ちょっぴり不安も(笑))が高まりました。
『ふと帰りたくなる場所』そんな場を実行委員にも、参加者にも、そして応援してくださる方々にも作り続けたいと改めて思います。
最後の一枚は心の平穏を取り戻したいとき「ふと帰る場所」地元の江の島。それではまた次回!
IDFC2018参加者インタビュー:ぱんちゃん
今回もまたまた、ブログを中断して、過去の参加者の後日談を紹介したいと思います。
今回はIDFC2018に参加した、ぱんちゃん!
現在は、新潟県立大学国際地域学部比較文化コース3年生で、文化人類学に興味を持っています。大学では、独学でビルマ語を勉強したり、ビルマ語サロンを開いたりと、ミャンマーと関係あるころをやっています。
IDFC2018の中でもひときわミャンマーに対する愛が強かったぱんちゃん。
ぱんちゃんが語るミャンマーの魅力とは…!?
Q.IDFCに参加したきっかけは…?
実は、IDFCに参加する前に内閣府のプログラムに参加していて、そのとき一緒だった大阪大学の友達から勧められたのがきっかけだった。
あと、ミャンマーが大好きだったことも理由のひとつ。
Q.IDFC2018に参加されて、どのようなことが一番印象に残っていますか?
ダラでの経験が一番印象に残っている。
以前行った内閣府のプログラムでは、いわゆる上流階級の人とばかり交流した。だから、ダラのような、貧しい地域に住む人に会ったことなかった。驚いたのは、川の向こう側とヤンゴンとで全然違うこと。小屋と高層ビル…。自分の知らないミャンマーの姿を見れた。
ダラは英語通じず、言語でコミュニケーションできない。ダラに行ったことで、ミャンマーの人と話すならビルマ語を話せる必要があると思い、ビルマ語を話せるようになりたいと思った。でも、ビルマ語を話せなくても、にこにこしてくれたことは印象的!
こんな活動もできるんだ…!と思った。(ミャンマーに部屋こもって話すだけではなかった笑)
Q.IDFC2018を終える前と後で、何か変化はありましたか?
自分の力には限界がある。自分もだったし、他の参加者もだけど、頑張って自分を追い詰めすぎて、いっぱいいいっぱいになってしまいがちだった。心にゆとりをもって行動することの大切さに気づいた。
ゆとりがなくなると、自分も楽しくないし、周りも楽しくないし…
Q.ミャンマーの経験が大学生活で活きていると感じることはありますか?
ミャンマーに行ったことは人生の転機!!!
ミャンマー行く前、自分の好きなものとか夢中になるものがなかった。でもミャンマー行って、ミャンマーが大好きになって、関われることが今はとても楽しい!大学生活、人生も楽しくなった!
Q.ずばり、ミャンマーの魅力って?
ミャンマーの人!!!
ミャンマーの人といるとなぜかほっとする(笑)ミャンマーの人たちは、弱っている人をほっとかない!優しい人柄。おおざっぱなところはあるけど、「自分が自分が!」って自己主張する人が少ない。
IDFCもハードスケジュールだけど、ミャンマーの学生の人柄で乗り切れた。
Q.もし、迷っている応募者に対してメッセージがあればどうぞ!
あ、これ気になる!と思ったら、とりあえず行ってみよう
それで得るものがあるかどうかは、やってみなきゃわからない。
IDFCはハードスケジュールだけど、それをやり遂げたとき自分ってできるじゃん!って自信がつくし、もし自分に合わなかったとしても、ロンジーを買って、次のミャンマー計画たてて、ミャンマーの思い出を一つ作ろう。
言ったら、ミャンマーを絶対すきになるよ!
行かなきゃよかったと思わないことのほうが多い。
ミャンマーに興味あるかないかはともかく行ってみよう!
IDFCブログ第21回 りょーすけの慶應復帰日記No.1
ミンガラーバー!こんにちは!
企画のりょーすけです。前回のブログでは他のメンバーがプレIDFCでの熱い思いをつづる中よくわからんヤンゴン朝散歩なんてものを投稿してしまい、恥ずかしい思いをしてました笑。ビールのことしか書いてないサカスが唯一の仲間です。
(でもヤンゴンの町並み綺麗だったでしょ?ヤンゴンみたいに人工建造物で形成されるカックカクの中心部を自然で取り囲むような都市計画をガーデンシティ構想っていうんですよ。そう、田園都市線の田園都市のことです。昔のヤンゴンと今の東京の都市計画に登場する田園都市構想、こんな時と場所を越えて受け入れられてるのはなんでなんですかねー)
↑田園都市構想
さて、三巡目のブログテーマは「大学生活~実行委員の生態を暴く~」らしいです。サカスと違って僕はオランダ留学を終えてしまっているので書くことねえええという感じなのですが、これから始まる慶應での秋学期でも書きたいなーと思います。オランダ留学中だったらチューリップやら風車やら綺麗な写真載せられたのですが残念、、、
↑三田キャンパスの様子
留学により在学期間を一年延ばすため、僕は今2回目の大学3年生をやっています。大学3年生の秋学期と言えば、せまりくる就活に対してそろそろ自己分析始めなきゃな~と思いつつも参考書買っただけで満足、ゼミの準備が忙しいから対策は後回し、みたいな時期ですよね。僕もしっかりとそんな状況に陥っている訳です(就活に対する意識が鬼のように高いといわれる慶應生に囲まれてもモチベが上がらない時は上がらないのです、、、)が、1つだけこの時期だからこそやり続けたい事があります。
それは、自分の興味のアンテナの動きに敏感になってあげる、ということです。自分の好きだなーと思うことを大事にしてあげるということです。
↑アンテナの写真
例えば、俺全然詳しくないけど美術館で〇〇の展示見てみたいんだよなーとか、雨で寒くなってきたし防水のジャケット買いたいけど〇〇の商品いいなーとか、街中走ってるウーバーイーツの自転車かっけえなーとかとか、ほんとくだらないけど自分のアンテナが受信する瞬間を逃さない、ということですね。
そしてその一瞬一瞬をなんで惹かれたんだろう?って立ち止まって考えてみること、それがこの秋学期に続けていきたいことです。やっぱり自分が自然体の時に興味を持つものこそが、一番自分に合ってるし、熱中できるものなんじゃないでしょうかね。高校の時に部活のOBの先輩方によく「若いうちは広い海を見ろ」と言われましたが、知らないことだらけでなんも社会的責任を負っていない今だからこそ、広い海を気楽に泳いでみるのもいいんじゃないかな~と思っています。具体的なやり方は企業秘密(笑)。
ということで、大学3年生の秋学期は自分のアンテナが敏感になれそうな機会をいっぱい増やそうと思ってます。例えば、
文学部で渋めの年代物映画をいっぱい見る(慶應の法学部法律学科は他学部の授業をある程度履修することができます。残念ながら法律の授業は僕のアンテナからしたら受信不可なので、年代物映画を鑑賞していろんな時代・場所を旅したいなーと思ってます。三田キャンパスを映画館にしたいと思います)とか、
積極的に街歩き(街は新たな発見の宝庫だと思います。スマホの電池さえあればどこ歩いてもめっちゃ楽しいです。)とか、
めっちゃテレビ見る(オランダ留学時代に一年間いっさいテレビ見なかった反動でもあるんですが、テレビはいろんな情報が入ってくるのでやっぱりいいです。)とかですね!
留学中ののんきな感じをそのままひきづってると言われればそれまでなんですが(笑)、僕の秋学期の大学生活は、だいぶ遠回りに、だけど楽しく自己分析を行っていくような日々になりそうです。
もちろんIDFCの企画はスイッチオンして常に全力、頭フル回転、高速タイピングですが!笑 この時期はワクワクするようなプログラムが徐々に形になって見え始める時期です。形になってみえてくると一層やる気が入ります!!!
そういえば今は参加者募集の時期ですよね。もし迷ってる方がいましたら、「ミャンマーと日本での10日間のキャンプなんてもし仮に失敗経験になったとしても大学生活が4年あることを考えれば大したことないよ!」という言葉を伝えたいと思います。実際に僕も参加したIDFC2017では挫折経験の方が強く印象に残ってますしね。
ぜひ応募お待ちしております!!!
【IDFC参加者インタビュー!〈かねやん〉】
IDFC2019の参加者募集が始まりました!
ということで、今回はIDFCの参加者が参加後どのように活動しているのかを知ってほしい。
そんな思いから、実行委員の日常ブログを少し中断して、過去の参加者のインタビューを紹介していきたいと思います。
第一弾は、IDFC2018に参加された、かねやん!
かねやんは参加当時は4年生で、現在は商社で働いていらっしゃいます。
IDFC2018でも、包み込むような笑顔が印象的だったかねやん。
IDFCの当時の思い出や現在の状況について以下のように語っていただきました。
Q.IDFCに参加したきっかけは…?.
理由はいろいろあるけど…
- 大学1年生の頃、休学してマレーシア行った。そのときにミャンマーに旅行して、もう一度いきたい!と思ったこと。貧しくとも活気あふれる雰囲気が印象的だったが、数年たった今どう変化していっているのか興味があった。
- 4年生の後半、時間を持て余していた。そんなとき、大学時代最後に思い出に残るようなことをもういっこ作りたい!と思ったこと。
実は、応募締め切り1分前ぐらいに応募したんだよね(笑)(Facebookで締め切りを知って、焦った)
Q.IDFC2018に参加されて、どのようなことが一番印象に残っていますか?
ひとつには絞れない(笑)
印象に残っていることをあげると、
・ディスカッション。話し合うのは難しい、だけどバックグラウンドが異なるミャンマーと日本の若者たちで、Happinessという抽象的なテーマについて、自分たちのアイデアを作り上げれたことは印象深かった
・ダラというヤンゴンとは全く違った地域に行けた!発展著しいヤンゴンとは違う風景を見る事ができた。そして、現地の方とじっくりHappinessについてお話しできたのは、とても貴重な経験だった。
でも、やっぱり一番印象的なのは、ミャンマーとの学生との交流かな。
ルームメイトが全く初対面のミャンマー人で始めは緊張してた。でも、ルームメイトのブライアンと一週間でここまでなかよくなるとは思ってなかったなあ…
ディスカッションではミャンマーの若者と本当にいろんな意見をかわすことができた!
よく考えると、言論の自由が厳しく制限されてきたミャンマーで当たり前のように話せたのはすごいことだよね。ある意味発展しきった国に住む自分たちと、「これから国を作るぞ!」という高揚感を持つミャンマーの同世代の人たちと、活発に議論して、お互いの違いや共通点を共有しながら議論できたのは本当によかったと思う。そしてそれを、プレゼンテーションやフリーペーパーという形で残せたというのは、学生時代の間違いなく大切な思い出になった。
Q.IDFC2018を終える前と後で、何か変化はありましたか?
ミャンマーのイメージが変わった!
1回目に旅行で行ったときは、ぼろぼろの車ばかりでショッピングモールも皆無だった。でも、2018に行ったときは、走っている車もすごくきれいになっていて、お店に並ぶものも様変わりしていて、たった数年でここまで変わるかとびっくりした。
もうひとつは、Happinessについて考えた経験って、今後自分が躓いたときに支えになるだろうなって予感してる(笑)。学生時代のほんの一週間、幸せってなんだろうって真剣に考えた経験が、自分への励ましや、支えになるのかなと(ちょっと宗教っぽいかな(笑))。今年のテーマはまた違うものになるだろうけど、自分たちで難題にぶつかっていって、自分たちで考えて、それを形として出す経験って、学生時代だけでなくて、それ以降も何かしらの形で活きてくるんじゃないかな。
どう活きてくるか分からないけれど、ミャンマーと日本とのIDFCで築いた同世代との繋がりは今後いい財産になると思います!
Q.ずばり、IDFCの魅力って?
学生が自主的にやってるところ!
だから、自分たちでいかようにも作り上げられる。壮大な冒険!(笑)
大人が作り上げたプログラムも多くある。でも、参加者も実行委員も同世代。言葉は悪いけれど未熟な学生が運営している。
だから、なんでも起こりうる、なんでもできるプログラムというところ。
運営が学生ということで、正直参加者としては不安な気持ちもあったけど、このプログラムをどういうものにしていくかは、参加者次第という部分も大きいと思う。
もうひとつは、IDFC2018の参加者は1年生や2年生が多かった。だから、初めて海外に行くとか、海外の学生と交流するプログラムに初めて参加したっていう人も多かったように思う。
そんな学生も一参加者として問題なく馴染んでいたのを見ると、一歩踏み出そうかどうか迷っている学生にとっても参加するハードルが低いことも魅力のひとつかな。
Q.もし、応募者に対してメッセージがあればどうぞ!
自分にとって学生時代で最高に密の濃い思い出の一つになった!
何にでも挑戦できる自由な学生時代の1ページに、IDFCを加えてみてはいかがでしょうか!
「応募しないでこのチャンスを逃すのはもったいない!」と自信を持って言えます!
かねやんさん、ありがとうございました!!!
IDFC第20回 ブルネイ日記 No.1
アッサラームアレイクム!(こんにちは!)
お久しぶりです。さかすです。
↑最近撮った写真です。自分の表情と、女の子の悲しそうな表情とのギャップ(泣)
Pre IDFC期間のブログが終わりました。少しでも実行委員のみんなの熱い思いが伝わったらうれしいな、と思います。
広報としてブログ更新を担当していて(リマインドかけたり、お題を考えたり)、実行委員のみんなが普段こんな思いをもって活動してるのか…!と驚きました。
ポークとビールのことばっかり書いた自分が恥ずかしい…
どれもすてきな投稿なのでぜひまだ読んでない人は読んでくださいね(^^)
さて、今度のお題は、
普段の生活どうなってるの!?
です。
実行委員の紹介はすんだものの、普段何してるのか、どんな夏休みを過ごして、どんな勉強をしていて、どんなアルバイトをしているのかわからない…。
ということで、実行委員の生態を暴きます!
普段は顔が見えない実行委員。
どんな人たちなのか、これからの投稿を楽しみにしてくださいね。
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さて、今回は、ブルネイに留学中の私。その日々の大学生活をつらつら書きたいと思います。
↑大学の校舎内を自由自在に歩き回るサルたち。
大学も、自分の寮も、サルと犬がわんさかいます。コモドドラゴンもいるとか(まだ見たことないです。)
ここは動物園か…?と思いながらいつも大学通ってます笑
実は今、大学の授業は4つしかとっていません。
というのは、1つ1つの授業がとても重いから。
1つのモジュール:
授業約2時間+チュートリアル(グループディスカッション)
チュートリアルは授業とは別日にあったりして結構しんどいです。
とはいっても、私が大学に行く日はなんと
3日だけ。
日本にいた頃とくらべても、やっぱり楽だな、と思います。
でも、これがブルネイのスタンダードです。
じゃあその他の時間は何してるのか。
ブルネイの友人に聞くと
「勉強して、食べて、ゲームして、寝る」のだそうです(笑)
なんて理想的な生活…。
ブルネイはほんと何もなくて、カラオケも、テーマパークもなくて、夜の21時か22時に店は全部しまってしまいます。
あるのは、豊かな自然とモスクだけ、というような結構な田舎生活です。
そんな中、私も典型的なブルネイ人と同じような生活をおくりつつあります(笑)
最近の娯楽は、高校時代していた剣道!
まさかブルネイで剣道できるなんて!
毎週2回ほど、大学の剣道部にいって楽しんでいます。
日本文化ってけっこうブルネイでは人気なんですね。
他にも、友達の誕生日会に行ったり、マレーシアに行ったり、なんだかんだ楽しんでいます。
やっとなれてきたブルネイ生活。
でも、1ヶ月前はすごくホームシックでした。
夕方に、モスクからお祈りの声が聞こえたりするとき、すごくもの悲しくなりました。
「ああ、ほんとに日本とは違う国に来たんだ」って。
けんじとしんじ(弟たち)はけんかしてないかな、とか。両親の仕事大丈夫かな、とか。日本にいる大学の友達はちゃんと食べてるかな、とかとか。(京大生はなぜか全然食べない…ブルネイ人を見習って!笑)
今でもたまに急に「日本懐かしい…」と思うときはありますが、
今は、ホームシック乗り越えたかな、と思います。
思い返すと、もしかしたら
Pre IDFCがきっかけだったのかも。
しんどいことも、楽しいこともたくさんあった中、
すてきな仲間たちの奮闘する姿を見て、まだまだ弱くて頼りない自分に気づいて…。
「ホームシックになってる場合じゃない!」
と強く思いました。
今、参加者募集が始まって、広報は大忙しです。
毎日FacebookとTwitter、Instagramを更新して…。
でも、そこでIDFCを応援してくれている方々からメッセージをいただいたり、応募者が増えたり、「いいね!」してくれるだけでも、毎日充実感でいっぱいです。
毎日どんな参加者と2月の本会議で会えるのかな、とわくわくしています(^^)
とりとめもない話になりましたが、今回はこれで終えたいと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!!
IDFC第19回 初めてのミャンマー、初めてのIDFCイベント
ミンガラーバー!
IDFC実行委員の森亜紗佳です。
ミャンマーでの準備渡航の後、個人的にマレーシア、
実は私、ミャンマーも初めてでした。今回はなかなか観光なんてする時間はありませんでしたが、、、。それでもミャンマー慣れした他のメンバーのおかげで、ロンジーも布からセットアップでオーダーでき、美味しい食べ物にも巡り会えて、有意義なミャンマー滞在をすることができました。みんなありがとう!
pre期間から少し日にちが空いてしまいましたが、滞在中の思いを今更ながら共有させてください。本日のブログでは、
IDFC 2019 日本・ミャンマージョイントキャンプへの挑戦
はるちゃんやふりかけ、
ミーティングで話し合い続けたあの3日間は私のまだ短いIDFC生活の中で一つ目の大きな山場だったと思います。
私自身、日本開催の話が出た時は正直反対でした。もし日本開催をするなら実行委員会が発足した時にまず話し合うべき大きなことなのに開催地に対する共通認識が図れていなかったこと、やるとしても全員が同じくらいのモチベーションで突き進めるかわからなかったこと、そして個人的な理由になりますが日本開催で日本側のマネジメントが私1人なんて正直こなせるか不安もあったからです(ミャンマー側のマネジメントは3人)。
私が担当するマネジメントは、ロジスティックス・ファイナンス、この2つをまとめて行う部署です。
お金の面では実行委員内の誰よりも必要経費を細かく把握していた私にとって、やりたい!やチャレンジ!という思いよりも現実的に考えることが勝手に優先していました。
そんなこんなでなかなか日本開催に向けて前向きになれないままでのミーティング初日、
私が作った予算案をもとにこの部分は本当に必要なのか、
ミャンマー側がここまで会計に関することに携わろうとする姿勢が垣間見えたことに嬉しさを覚える反面、自分が今までやってきたものを全て否定されている気がして(もちろんそんなことはないけれど気持ち的に)正直ここ数年の人生でで一番しんどい時間でした。笑
それでも今みんなでジョイントキャンプに向けて頑張ろう、突き進もうと思えるのは、
オンラインなどではなくみんなでしっかり話し合って決めたことであること、それによってはっきりとミャンマー側実行委員の思いが日本側実行委員全員に伝わったことだと今振り返って思います。
これから本会議開催まで課題は多く残っています。金銭面以外のことでも多くの困難にぶつかると思います。しかし、私が大好きなこの19人ならきっと乗り越えられると信じて、頑張ります!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
IDFC実行委員 マネジメント
森 亜紗佳
思い出が詰まった、ヤンゴンで。
ミンガラーバー!こんにちは!、前回のブログ更新からすこし間が空きましたが、
今回はさとしが3日間かけて書いた日本開催の議論でたくさん悩んだわたし、加藤春奈が担当したいと思います。
今回のPreIDFCはわたしにとってミャンマー4回目の旅でした。
PreIDFC5日目に日本側実行委員全員でShewdagon Pagodaにお参りしてきました。
1年半前に参加者として初めて行ったときは、きれいだな~~くらいにしか思わなかった場所も、
4回目の訪問となった今では、思い出の詰まった場所になりつつあります。
(自撮りする日本側実行委員。今回が日本側のメンバー初めて全員集まる機会でした!)
毎回一緒に行くメンバーは違いますが、今回は、参加者のときに一緒に行った、えまちゃんと良輔と再び一緒に行くことが出来ました。
(IDFC2017の参加者当時。わたしたち以外もそれぞれ、次のステップを進んでいるかっこいいメンバーたちばかりです。)
IDFC2017を終えて、違うフィールドで1年を過ごした2人が次は実行委員としてIDFC2019に戻ってきてくれました。
参加者のときルールメートだったMon Monも、今年度企画として一緒にIDFC2019を創る仲間になりました。Haymanも今年度ミャンマー側代表としてみんなを引っ張ってくれる心強い存在です。
わたしは改めて、たった1週間という短い時間のプログラムでありながらわたしを含め参加者の人生に次に進む力を与え、進んだ後に、やっぱり戻ってきたいと思えるIDFCの魅力を感じました。
そして、IDFC2019も、IDFC2017以上に参加者にとって次の一歩を歩むエネルギーを得られる場所にしていきたいとPagodaに誓ってきました。
さて、気持ちを新たに臨んだPreIDFC後半でしたが、たくさんの衝突がありました。
「本会議を日本・ミャンマー両国で開催すること」
この決定に至るまでに18人それぞれ、気持ちが揺れ動いて、うまく信じあえないことにもどかしさやしんどさを感じていたと思います。
日本開催について、毎日朝から晩まで議論、議論、そして議論。実は、Farewell Partyも延期するくらいに、わたしたちは悩んで、わたしたちが何をしたいのか、について議論しました。
(議論中の写真はほとんど残っていませんでした(笑))
日本開催について考えた時、出来ない根拠はたくさんありました。財政面、就活や就職という次のステップがあるメンバー、質の問題…
日本側の中でも意見は違って、本当にどうしようもないくらい議論が紛糾して、終わりが見えない議論の時間もありました。
実は、わたしは昨年も実行委員をしていて、日本開催には反対でした。
でも、日本開催に対して、これまでどうしても日本側が主導権を握りがちだった予算について精一杯考えてくれるHaymanたちの姿を見てミャンマー側の日本開催にかける思いの強さを痛感しました。
「彼らと一緒に全力で挑戦してみたいな」という思いが自分の中で確かに生まれました。
もちろん、その思いがわたしの中で生まれたからといって「じゃあやろう!」とはなりません。
解決しないといけないけど、今すぐには解決できない、財政の問題。
でも、その果てしなく高く感じる壁を乗り越える覚悟や、思いを共有出来たから、わたしたちはこの挑戦を決めることが出来たと感じています。
“If we can’t correct enough money to hold our camp in Japan and Myanmar, IDFC2019 will not happen.”
わたしはこの言葉の途中でぼろぼろ涙が溢れて、最後まで言えませんでしたが、
これは今年度の実行委員、全員の共通認識です。そのくらいの覚悟を持って、
これからわたしたちは今まで以上に協働して準備を進めたいと思います。
3日間という短い時間での議論の過程で、お互いたくさん傷付いて、考えて、悩んで、泣いて、
わたしたちは一つの決断をしました。
決断をする道のりも、とっても険しいものに感じられましたが、
2019年2月までに目を向けてみると、これからのほうが間違いなく厳しい道が待っていると思います。
PreIDFCの期間で、こんな風に両国で夜まで真剣に議論(時に冷静さを欠いて)出来たことは
これからの糧になると心から信じてます。
(過程の部分はまとめて書きましたが、本当にそれぞれの頑張りがあって、この結果を得られたと思います。)
冒頭にも話したIDFC2017のメンバーも含め、今年はそれぞれが責任感と、
IDFCを成功させたい気持ちに溢れたとびきりすてきなメンバーばかりです。
たくさん一緒にもがいて、一緒に困難を乗り越えていけるメンバーと出会えたことに感謝して、みんながわくわくする夢を一緒に追いかけたいと思います。
もうすぐで日本側の参加者募集が始まりますが、IDFC2019の参加者に会えるのが、ほんとにほんとに楽しみでなりません!!たくさんの議論の結果決まった両国開催、必ず参加者・実行委員共に笑顔で終われるすてきな日々にしたいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
IDFC実行委員
加藤春奈