第16回 パゴダに願いを ~真夏の夜の大討論編~
パゴダに願いを
ミンガラーバー! 渉外担当のさとしです。
PreIDFCが始まって約1週間、いろいろ書きたいことが溜まってきたところなのでここら辺で一挙大放出させていただきます。
何から書いていこうか迷うところですがとりあえず…
パゴダ来た(どや)
すみません、神聖な場所でふざけました(笑)
男子ってのは集まると悪ふざけとドぎつい下ネタ話しかしない生き物なので許してください。何でもしますから()
でもね、写真ではふざけていても心の中では「うまく議論が進みますように」なんてパゴダに祈ってたんです…
というのもこの直前、実行委員はある大きな問題に直面していたのです…
その問題とは…
IDFC日本開催やるかやらないか問題
真夏の夜のディスカッション 山積みの課題
IDFC日本開催とは?
まぁ、日本で日緬両国の参加者がディスカッションなどを通じて相互理解を促進する、いわばIDFCの日本版…簡単に言うとそんな感じです。
ちなみにIDFC2018では2月の本会議直後、両国の実行委員のみで(いわばデモンストレーション)IDFC日本開催を実行しました。
そして昨年度の実験的開催をステップにして実行委員だけでなく両国の参加者全員が日本で学習できるように、とミャンマー側の実行委員は本年度のプログラムとしてこの日本開催を提案してくれました。
ミャンマーの学生が日本のリアルの姿を見て学び、新たな価値観を発見できるなら(今年のテーマはSeeking New Values)それはそれは素晴らしいプログラムになることには間違いありません。
ただ、日本開催のために立ちはだかる課題はあまりも深刻です。
その課題とは…
1財政課題
2スケジュール課題
3日本とミャンマーの立場の違い
ざっと挙げるとこんな感じです。今から一つずつ説明していきますが、長いので時間の無い方はスクロールで飛ばしてもらって結構です(笑)
1 財政課題
あなたがミャンマーに行ったことが無くても日本の物価がべらぼうに高いことは想像できるでしょう
ホテル代、食費に交通費…
生活するために必要な分だけでも莫大な費用がかかります
1チャットは日本円で0.1円以下なので、単純計算で日本開催にかかる費用はミャンマーの本会議の10倍以上になります
そして日本開催を開くために必要な費用はなんと 数百万円
もちろん、会社に交渉したり財団のお金をゲットして
財政面をなんとかするのが自分の役目です。
でも…そのような大きな額を企業の協賛で確実にとってくることは残念ながら約束できません。
論理的に可能と現実的に可能は全く違います。
入試に満点はあっても、満点を取るのはほぼ不可能なように
ウン百万を集めることは論理的には可能でも、
不可能に限りなく近い額といえます。
それに僕が何社訪問しようがいくつ財団に申請しようがお金を手に得られなければ何の意味もありません。IDFCのコンテンツ内容がいくら充実していようがお金が用意できなければIDFCは開催できません。
2 スケジュール課題
現在、2つ財団の申請結果を待っているところですがこの結果が発表されるのは秋冬ごろです。正直この2つが認められれば日本開催は可能です。
そしてIDFC日本会議(2月中旬)のためには、今からコンテンツ内容を考え始めないと
間に合いません。
仮に財団からお金が下りたと仮定して充実した日本開催のコンテンツを考えても結果的に申請が通らなければ考えた労力は無駄になりますし、その期間を使って従来のミャンマー開催のコンテンツ内容をもっと充実させることができたでしょう。
つまりこれから限られた時間をどう使うかで
IDFCの充実度合いが大きく変わってくるのです。
ちなみに充実度の問題は団体全体の信用度にも影響してきます。
前のブログでも話しましたが
IDFCはただミャンマーに行くだけの旅行団体ではありません。
スポンサーや財団のお金を使わせてもらっているわけですから旅行とは違って
常に質の高いプログラムを提供する義務があります。
中途半端な結果に終わったり、開催が中止になると企業や財団からの信用を失い、次年度の開催ができなくなるかもしれないのです
3 日本とミャンマーの立場の違い
私たち日本側実行委員は確実に経費を集められるとは限らない日本開催に断固反対していました。その一方ミャンマー側実行委員は日本開催に並々ならぬ思いを抱いており、何が何でも開催するという熱意をもっていました。
なぜならミャンマーの大学生は比較的経済的に恵まれているほうですが、それでもミャンマーの経済状況を考えれば彼らにとって外国に行くというのはめったにない機会だからです。
「あなたたちはミャンマーの経済状況を分かっているでしょ、それに私たちはもうすぐ就職する。いま日本に行けなければ次はいつ日本に行けるのよ…?」ミャンマー側の代表の言葉が印象的でした。
つまり彼らはIDFCが日本に行って新たな価値観を得られる人生最後のチャンスだと思っているのです。
だからもしここで日本側実行委員が日本開催を諦めさせれば彼らは一生日本に行くことは無いかもしれない…彼らのチャンスをつぶしてしまう危険がありました。
しかし、日本側実行委員には「行くことだけが目的になると日本開催がただの旅行で終わってしまう」という懸念がありました。
そして、180度真逆の思いを持った日本側実行委員とミャンマー側実行委員は何度も衝突して言い争いました。
↓ディスカッションの様子
もう分かり合えない
最初のディスカッションから何時間が経ったでしょう…
事あるごとに衝突し、終わりの見えないディスカッションを繰り返すなかで僕はミャンマー人との相互理解の限界を感じました。普段は仲のいい相手でも相手と深く議論すればするほど生身のアイデンティティやポリシーが露出してぶつかり合うからです。
渉外活動であれほど「日緬の学生間の相互理解を促進する」と熱弁していた僕はいつの間にか自暴自棄になっていました。
夢見がちなミャンマー側実行委員と超現実主義な日本側実行委員は
絶対に分かり合えない
ミャンマーと日本の学生が納得できる答えを出すなんて絶対に無理、
相互理解なんて幻想だとまで思いました。
彼と話すまでは…
最後まで読んでくれてありがとうございます。長文乱筆すみません。
次回、「パゴダに願いを~大討論から大団円?~」編につづきます。