第17回 パゴダに願いを ~大討論→大団円?編~

 

あらすじ  日本開催をやるか、やらないか、ミャンマー側と日本側で意見は真っ二つに割れていた。しかも双方一歩も譲らない。終わりの見えない議論に半ば自暴自棄になっていたさとしに変化が訪れる。

 

前回の続きです。

ターニングポイント 彼の目が訴えたもの

 

議論議論を重ねて疲れて果てたら議論のことを考えながら眠り、また議論を続けるために朝起きる…

 

 

こんな議論漬けな生活が続いて自分が自暴自棄に陥っていたとき、目を覚ましてくれる出来事がありました。

 

それはディスカッションの合間に昨年度の参加者であり、ルームメイトでもあったティハゾーに日本開催について軽く質問してみたのがきっかけでした。

 

 

右がティハゾー(イケメソ)

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僕「君は本当に日本に行きたいのかい?ティハ」


ティハゾー「あぁ、もちろん」


僕「でも予算的に厳しいよ…」


ティハゾー「あぁ、わかってる…」

 

 

会話の内容よりも僕はこの会話をしたときの彼の真っすぐな目を忘れることが出来ません。

 

決して大げさではなく、彼の目を見て彼の日本に行くという決意、そしてIDFCをただの旅行で終わらせないという決意を感じました。

 

今思えば僕はそれまで、相手のことを信用するどころか「どうせ日本に行きたいだけだろ」「限られた予算のことを何もわかっていない」と根拠のない決めつけで相手の意見に耳を貸すことをやめていたのかもしれません。

 

しかし、あの短い会話でミャンマー側実行委員思いの強さを直に感じたのきっかけに彼らを心から信用できるようになりました。

 

それによって彼らが一生懸命予算表を作ってくれていたことや日本開催の意義を考えてくれていたことなど、今までの協力的な姿勢、彼らなりの真剣さに気づけるようになったと思います。

 

 

最終決着

 

夜明けまで議論を繰り返し、衝突し、時には涙を流しながら気づけば最初に日本開催が議題に上がって3日が過ぎました。

 

 

そしてついに議論に決着がつきました…

 

 

みんなが出した答えは…!

 

 

 

 

 


日本開催決行(ただしお金が集まらなければ今年のIDFCは開催中止)

 

 

一見するとミャンマー側実行委員に譲歩したように見えるかもしれません

 

しかし、日本開催→ドリーミーさできなければ開催中止→現実主義 

 

という真逆の価値観が見事に両立できているのです!

 

最初はあんなに「絶対無理やろ…」と思っていた日本側実行委員もミャンマー側実行委員の本気度に共感して資金集めの計画を立てていくうちに、気づけばみんなが「よっしゃやるぞ!!」となっていました。

 

 

僕は今まで問題解決にはどちらかの妥協が一番重要だと思っていました。

なぜなら全員が納得する答えなんて見つかるはずがないと最初から決めつけていたからです。

 

 

しかし、妥協することよりもどんなに時間がかかろうが決してあきらめずに双方の意見をくみ取った別のプランを考え続け、全員が納得できる答えを探すことのほうがずっと大切だと学びました。

 

 

 

この会議を通じてミャンマー側実行委員とたくさんの衝突がありましたが、最後はみんなが抱き合って別れを惜しんでいました。

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議論中は想像すらできなかったこの景色を見て

 

 

やっぱり日本とミャンマー相互理解は夢物語じゃない。
資金集めの道のりがどんなに厳しくとも本会議に向けて頑張ろうと思えました。