上映中『クワイ河に虹をかけた男』〜日本とミャンマーの歴史を感じる〜
永瀬隆さん。
彼は生涯かけて、奥さんと二人三脚で日本の戦後処理を続けました。
永瀬さんは、戦時中、陸軍通訳としてタイに勤務していました。
日本軍は、タイーミャンマー間に鉄道を建設していたのです。
それも長さ415km (当時では10年かかるはず) をわずか1年3ヶ月で完成させました。
建設に取り組んだのはだれか?
東南アジアの人々はまだ予想をつけられる範囲かもしれません。
でもかれらだけではありません。
イギリス人などのヨーロッパの兵士たちも捕虜として厳しい労働環境で働かせられました。
映画で、元捕虜のイギリス人が、もともと鉄道のあったところで、
永瀬さんを日本人と分かると、ギロッと睨みつけているシーンがありました。
・・・けっして拭えない、拭いたくない日本への憎しみを感じました。
イギリス人でこんなにも日本を憎んでいる人がいるのかと、恥ずかしながら知る機会になりました。
ミャンマー人も本当にたくさんの人々が捕虜として働き、死んでいきました。
かれらの骨はきちんと埋められていません。
そのままでした。
横浜に、イギリス人など日本で捕虜として働かされた西欧の人々の墓地があるのをご存知ですか?
これは永瀬さんも協力し作られ、いまでは毎年セレモニーも行われています。
その光景を見てなんのセレモニーかなと立ち止まる人。
はたまた通りすがり墓地が広がっていたら「なにかな〜」ぐらいでも思う人がでてきます。
わたしが観に行ったときは、上映後にトークイベントもありました。横浜にあるその墓地をきっかけに捕虜についての研究を始めた二人の日本人女性がご登壇されました。
墓地とはなにか?
ぼろぼろになるまで働き疲れて死んでいった人々がそのままでいいのでしょうか?
ほったらかしはもってのほかだと思います。
そして、きちんと墓地を管理することも大切だと強く感じさせられました。
タイで働かされて、一人家族の元へ帰ることもできなかったインドネシア人もいます。
永瀬さんのおかげで帰ることができた方もいましたが、そこで生涯を過ごした方もいました。
捕虜の一人一人にまで向き合ったことがありませんでした。
というか戦後処理について、メディアでは慰安婦問題がよく取り上げられていて、ひたすら日本を責め続ける韓国に嫌気もさしていたのが正直なところでした。
永瀬さんは、捕虜と人として出会い、戦後もただ一人日本の戦後処理を続け、結婚してからは奥さんと二人三脚でタイになんと135回巡礼をしました。
永瀬さんにとって、戦後処理は国レベルだけではなく、個人レベル、じぶんごとだったのです。
IDFCで日本とミャンマーの学生がどうしたら交流できるか?
真の交流ってなんだろう?
うわべじゃない、おたがいの良いところもわるいところも受け入れ合う機会をつくりたい。
相手のこともじぶんごととして考えられるような関係が、
日本とミャンマーでできたらいいなと思っています。
戦後処理についてまだまだ自分の答えが見つかっていませんが、
もっとアンテナをはっているようにしたいなと思いました。
『クワイ河に虹をかけた男』現在中野で上映中!
そのあと全国各地で上映していきます。
是非是非観に行ってみてください!!!
IDFC 和田幸子