新年あけましておめでとうございます!
IDFC企画担当の塚本沙世です(*^^*)
新年あけましておめでとうございます!
皆さんはどんな年末年始を過ごされましたか?
2017年が皆様にとって幸せいっぱいに溢れる一年になりますように。
さてさて、気づいたら2017年、IDFC本番まで残り一ヶ月となりました!
さて、今回は12月ミャンマーで行われたIDFC参加者合宿のお話をさせて頂きます♪
ミャンマー参加者合宿は、12月10,11日にYangon YMCAにて行われました。
私もちょうどミャンマーに渡航していたため、一緒に参加してYMCAに泊まって来ました。二段ベットで合宿所みたいな感じで、一人お昼と朝ごはんがついて5,000kyat... 安い!
とても古い建物で、シャワーも冷水をかぶって体を洗うスタイルだったのですが、なんとこの宿、HAUNTED HOUSEらしく、幽霊の話でとても盛り上がりました。
盛り上がり過ぎた結果、怖くなり過ぎてみんな小ちゃなベットにふたりで寄り添って寝るハメになりました...笑 (*今年度のIDFCでは使わないのでご安心を!もしかしたら来年は...)
合宿中は、IDFC本番に向けた心構えや準備についてミャンマー側運営が熱心にファシリテートしてくれました。全てミャンマー語で行われたため、私はとりあえず笑顔で頷いておりました。
だけど、みんなの顔は真剣そのもの!熱心に取り組んでくれている運営、そして参加者を見て、私も最後まで妥協せず頑張らないとときの引き締まる思いでいっぱいになりました。
夜には、新しく新設移動したNight Marketにも出向きました!
遊ぶときはきちんと遊ぶ!大事ですね。
最後におまけ:私用があってネピドーに行った時に、幸せを呼ぶ白い象にあって来ました。「白い」象です。白です。どの象のことを指しているか分かりますか?
正解は、三匹とも全て「白い」象らしです!笑
どう考えても白くはないのだけど、地元の人が興味津々で見に来ては笑っていました。ビルマ語はわからないけど、なんで笑ってたのかはすぐにわかりました...笑
黒柳英哲様インタビュー記事〜貧困下のあらゆる人々を汲み入れる持続可能なビジネスで起業〜
黒柳英哲様プロフィール
1980年生まれ。フリーランスとしてアジアでのビジネス支援、NPOのファンドレイジングや企業連携、国内の地域活性化支援などに関わる。低所得や貧困の中で暮らす人々が排除されることのない世界を創るため、マイクロファイナンスとBOPビジネスを支援するリンクルージョン株式会社を設立(2015年4月)。このビジネスモデルで、40億人のためのビジネスアイデアコンテスト最終審査会まで進出された。現在は、ミャンマーを拠点に活動中。
黒柳さんが代表取締役を務めるリンクルージョン株式会社の事業内容やどんな思いで取り組まれているのか等、インタビューしました。
現在、インターン生も募集中です!途上国でのソーシャルビジネスに興味のある方も必見!!
貧困層の生活水準を改善する マイクロファイナンス
Q. 黒柳さんは、マイクロファイナンス機関とビジネス提携されていますが、まずはマイクロファイナンスについて教えていただけませんか?
世界の人口がおよそ73億人いる中で、
きれいな水にアクセスできない人口が8億人、
電気が来ていない人が15億人、
衛生的なトイレが使えない人口が25億人。
これらのようなベーシックヒューマンニーズにアクセスできない人々が未だかなり多いように、
金融サービスにアクセスできない人々もかなり多いんです。
世界の成人人口の約半分にあたる20億人が公式な金融サービスを利用することができません。
「お金を借りる、預ける、保険を利用する」といった金融サービスって、お金持ちのためじゃないか?とイメージする方も多いかもしれません。
でも、貧しい人々にこそ金融サービスは必要なものなんです。
彼らは日雇い労働などのため、家計が脆弱で毎日一定の収入を得られるわけではありません。常にお金のマネジメントについてはすごく不安定さがつきまとっています。
そんな状況に加えて、もしお父さんが亡くなったら、とても重要な一家の働き手がある日から突然いなくなってしまうということです。例えば生命保険に入っていたら、状況は変わるかもしれません。
彼らの生活はそういったリスクに対してかなり脆弱です。
しかし、金融サービスを通してこの状況を安定させたり、緩和することができます。
(マイクロファナンス機関の顧客の一人、ヤンゴン郊外の村のお母さんとその子ども)
例えば、地方や農村では、どこかに雇われて給料を稼ぐというよりも、家の前でモノを売るなどの零細自営業の人たちが多いですが、それにはもちろん元手が必要です。従って、目の前の一日を生きるためのお金を稼ぐことで精一杯であるような人には、商売を始めることや大きくすることは大変です。
このような人たちに対して、マイクロファイナンス機関が元手を貸します。彼らはそのお金でモノを仕入れ、家先や市場、路上で売ります。そして稼いだお金に利子を付けてマイクロファイナンスへ返済する。これを継続することで少しずつお金を増やし、事業を少しずつ大きくしていくことができます。こうして彼らは生活水準を徐々に改善していくことができます。
(マイクロファイナンス機関のスタッフが、顧客のミャンマー人たちへお金の使い方やその重要性などを伝えている様子。このように定期的に集会を行っている)
—マイクロファイナンスは、主に低所得者層に対しての銀行の役割を担っているのですね。
行っていることは銀行とほぼ同等です。
しかし、お金の貸し借りなど取引の頻度がずっと多いです。
業務が多く複雑なので、本来であればそれらをITシステムで管理する必要があります。
—確かに手作業だと人件費が嵩みそう…。
それがミャンマーの場合、今はまだ人件費が安いので、高額なシステム導入費用と比べると人力でやった方が安い場合もあるんです。でもこれはコストだけの問題ではありません。
手作業だとどうしてもミスが起きやすくなってしまいますし、情報活用もできません。
貧困下の人々の生活水準の向上に貢献し、
かつ企業の発展も達する"インクルーシブビジネス"とは?
そこで、私たちはミャンマーのマイクロファイナンス機関にITシステムを安く提供しています。さらに顧客情報やマイクロファイナンス機関のネットワーク網を利用して、ミャンマー進出を目指す日系企業に対してサポートを行なっていくことでビジネスとしても成り立たせていく事業に取り組んでいます。
低所得者層のニーズをビジネスに汲み入れることで、彼らの生活水準の向上に貢献すると同時に、企業も利益を生み出すことができる持続可能なビジネスを創りたいと思っています。
(マイクロファイナンス機関オフィスにて、顧客情報をパソコンに打ち込んでいるスタッフの様子)
Q. ビジネスソースとなる顧客情報とはどういったものでしょうか?
彼らの家計の収支、住環境や健康状態、子供の教育、そして生活費割り当てといったあらゆる生活状況がそれにあたります。これらを明らかにすることで、例えば彼らにより合う金融サービスや商品を開発することも可能になります。
社会課題解決を目指して、マイクロファイナンス機関は活動をしているわけで、そんな彼らにも顧客である貧しい人々のことを正しく理解することは大変重要です。
このような情報をきちんと整理することで、彼らのニーズに合わせて金融商品やサービスを向上していくことができます。
そのため、ただITシステムをマイクロファイナンス機関に対して入れて終わりではなく、ソーシャルミッションに取り組む彼らに情報を活用したコンサルティングも同時に行なっています。
(村のご家庭に訪問し聞き取り調査を行っている様子。左がマイクロファイナンス機関ではたらくミャンマー人男性で、右がその顧客の女性)
Q. 黒柳さんの会社の今後の方針を教えていただけますか?
マイクロファイナンスはここミャンマーでも拡がってきましたが、依然として都市部やその周辺に集中しています。この状況を打破するべくITシステムで業務管理コストを下げ、より広範囲の人々に金融サービスが届くようにしていきたいです。
Q. ミャンマーでもマイクロファイナンス機関から支援を受けられる人というのはかなり限られているのでしょうか?
はい。ミャンマーでも都市部周辺にしかまだ普及していない状況です。大体ヤンゴンの中心部から車で1〜2時間の範囲でしょうか。あとは、バゴーやマンダレー周辺など。これらに約160事業者が密集しています。
なぜかというと、地方へ行くほど運営費が嵩むためです。マイクロファイナンスの運営は、スタッフを多く必要とします。お金を貸すときも返済してもらうときも人の手で行います。また、それだけでなく定期的に被支援者とミーティングを開催するなど、彼らの金融に対する理解を深める活動も不可欠です。しかし、田舎に行くほど、一定時間で訪問できる家庭も限られてしまうなどより人件費が嵩んでしまうのです。
また、マイクロファイナンスであっても、最貧困層の人たちにそのサービスを届けることは依然として難しいです。ビジネスベースである以上は、ターゲットを決めて制限しなければいけないのです。
人件費などのコストをITシステムで下げ、より収益が得られる持続可能な仕組みを確立して、全ての人々が金融サービスにアクセスできるようにしていきたいと考えています。
(マイクロファイナンス機関および黒柳さんご自身の会社のミャンマー人と、パソコンで作業中)
ミャンマーやIDFCについても伺いました!
Q. そもそもなぜミャンマーにしたのでしょうか?
理由をあげるとしたら2点ありますが、ミャンマーに特別思い入れがあったわけではないです(笑)。
1点目は、3年ほど前、日本のNGOのメンバーとして、ミャンマーのマイクロファイナンス市場の調査を行いました。これが、ミャンマーのマイクロファイナンス市場のポテンシャルを感じるきっかけになりました。
2週間ほどミャンマーにも滞在し、今パートナーとなっているマイクロファイナンス機関にもすでに訪れていました。
事業が上手く進んでいるところもあれば、そうでないところも多くありましたが、ニーズが大きいからこそ、健全にマイクロファイナンス市場が成長する必要があると感じました。
2点目は、ビジネスの視点からミャンマーのマイクロファイナンス市場は入りやすいと考えたからです。
ミャンマーのマイクロファイナンスは創業数年の中小規模の機関がほとんどです。
すでにシステムが入っている機関にシステムを変更してもらうより、システムを持っていない機関に新規に導入してもらうほうが楽ですよね。
またより必要とされているところでやった方が、社会的インパクトも大きくなります。
Q. ミャンマー人と働いていてどうですか?どんなミャンマー人がいますか?
ミャンマー人の性格は、日本人に似ているところがあると思います。
彼らはとにかく真面目だなと感じます。
休んでいいと言ったはずなのに全員出勤してきたこともありました。
とっても働き者です。まあ、休んでる人は本当に休んでいますが…笑。
会社で働いてくれているミャンマー人だけでなく、例えばマイクロファイナンスの支援を受けている方で、自ら市場調査をしているアクティブなお母さんにも出会いました。
彼女は畑で空心菜を育てているのですが、借りている畑も狭いので月に3回しか市場に売りに行けないんです。他の日は、町中の市場を自転車で回って、村で一番安い空芯菜を見つけて、それを他の高く売れる市場で売ることで収入を得ているんです。転売で収入を得ることは趣味だと言っていましたよ(笑)
Q. 若者がミャンマーに来るべき理由は何だと思いますか?
ミャンマーじゃなくても、どこでもいいんじゃないでしょうか(笑)。
でもIDFCに是非参加してみたらいいのではと思います。
わたしはもともと場当たり的なところがありまして。目の前にある関心が湧くことをとりあえずやってみるということを重ねてきました。
なんやかんや、そのときそのときにやりたいことに一生懸命取り組めたことは良かったなと思っています。
20年先のプランを立ててキャリアを積み上げるというやり方もありますが、そうでないといけないと思う必要はないと思います。
例えば、就活で悩んでいる学生さんがいますが、そこでひたすら悩み続けて立ち止まっていてもしょうがないのかなと。
IDFCに興味があるなら、まずは参加してみたらどうでしょうか。
Q. IDFCのメンバーの印象を教えてください。
橋本くん(初代代表)に、はじめてIDFCについての話を聞いたとき、じゃあ成果は何?と質問したんです。そのとき、「目先の成果はありません」とはっきり言い切ってくれたのがとても気持ち良かったですね。
「ミャンマーと日本の学生が、ともに真剣に取り組みながら密になっていけば、それが無形の形として残り、それが将来、彼ら自身や社会に寄与すると思っているんです。」といったことを言っていて、すっと理解できたのを覚えています。
少ない実行委員で、ミャンマーには事前に1回しか来ていないのに、あれだけのプログラムを作れるのはすごいなと思っています。
こんなに用意された舞台はないんじゃないでしょうか。
Q. さいごに、黒柳さんにとってミャンマーとはどんな国でしょうか?
・・・ただ住んでいる場所です(笑)。
あなたにとって東京はなんですかと言われているのと同じですよ。
ミャンマーだからというより、取り組みたいことがある国がミャンマーだったというのが正直なところです。
実際、ミャンマーだからという理由で来ている人よりも、何かやりたいことがあって、それがミャンマーでできるから来たという人の方が多いなあと感じます。
そう考えると、いろんな人が興味を持てる国であり、可能性が広い国なのではないでしょうか。
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リンクルージョン株式会社は現在インターン生も募集中!
低所得者層にサービスや情報や商品を届けることで、彼らが取り残されることのないインクルーシブな世界を創る取り組みです。社会課題解決×ビジネスの経験ができます!
詳しくはリンクをご覧ください。
マイクロファイナンス機関から支援を受けているご家庭への聞き取り調査や、事業開発、広報活動等を行うことができます。
すでにインターン生もいて、IDFCコミュニティの仲間でもあります。
インターン経験ももちろんですが、ここでの出会いはさらなる繋がりに広げてくれるはずです。
(右から3人目が黒柳さん、そしてその左隣が現在ヤンゴン大学留学中でインターン生の塩野さん)
【編集:IDFC実行委員 和田幸子】
世界では、貧困層をなくすための様々な取り組みがなされていますが、やはりすべての人々に支援や事業効果をもたらすことは未だ難しいです。そういったこぼれてしまいがちな貧困下のすべての人々の生活水準を底上げすることから、より良い世界を創っていくことに、黒柳さんは、だれよりも情熱を持った方だと感じています。一見ドライかと思ってしまうその先に、まさに熱い気持ちと冷静な頭を持ってらっしゃる黒柳さんからは、会うたびに刺激をいただいています。IDFCの活動にも、メンバーにも、いつも温かい応援をありがとうございます!!
IDFCamp in Tsukuba
こんにちは!
このブログを読んでいるみなさん、いかがお過ごしでしょうか?
IDFC2017実行委員は今、プログラム参加者の募集を実施しております。そんな折、一昨日大学で所属しているダイビングサークルを引退してきた渉外担当のリョウサクです。ダイビングサークルではOBになりましたけど、IDFC2017実行委員はまだまだ現役なので、みんなで盛り上げて楽しんでいきましょー。
10月8日(土)から10月10日(月)の3連休のうち土日を使ってIDFCamp in TsukubaをIDFCの過去の実行委員と今年度の実行委員で行いました。土曜日にみんなで筑波山にあるキャンプ場でコテージを借りて、バーベキューを行い、次の日にはソバ打ちと登山をしました。過去のIDFCの思い出話や社会人としての日々の活動、学生時の過ごし方、就職の決め手など、勉強になるたくさんのお話を聞くことができました。とても建設的な交流会となり、刺激的で楽しかったです。OB/OGとして初代代表のユウさんや初代副代表のアキさん、初代渉外のナツキさん、IDFC2016マネジメント担当のアリケンといった今バリバリ社会で活躍する能力者が集いました!アリケンに至っては、関西から飛行機でこのキャンプに参戦してくれるなど、IDFCへのLOVEを感じずにはいられないですね!そんな優しくて頼もしい先人たちとのイベントにIDFC2017の現役実行委員の仲間とでのんびり過ごしてきました。IDFCコミュニティはイベントに貪欲に企画しており、今後も新しいイベントを作っていきます!
(バーベキュー場にて)
(そば打ちに挑戦・・・今度はみんなでそばパーティかな?)
キャンプの大きな目的は筑波山登頂ではないでしょうか?「余裕で登れるでしょ?」とつくば在住の私と企画のサヨさんは話しながらも、登山中は息が切れておりました。運動不足の社会人の方々からすれば、今頃筋肉痛になっているのではないでしょうか。ちなみに、サヨさんはクロックスで登山をするという荒技を・・・。前日の土曜日は雨が夕方まで降っていたので、道はとてもぬかるんでいました。良い子の皆さんは危ないので絶対に登山の時は準備をしましょうね(笑) 登る道中で、大自然を感じつつギャグや笑話を交えながら無事、登頂して筑波山の上からつくばを見渡して帰って来ました。行く道中では、綺麗な花や木々、ちょっとした休憩ポイントに点在している祠や大岩といった自然物を体感して気分をリフレッシュできました。
(山頂にてみんなで集合)
普段の生活を少し離れて体感した自然の中での仲間との交流はとても楽しく、企画をしていつかまた皆で集まる予定です。このブログを読まれているみなさんも、是非IDFCコミュニティに混ざってみてはいかがでしょうか?現在、プログラム参加者を絶賛募集中です。遊びも団体の活動も全力で取り組みます!
ミャンマー料理の数々
ミンガラーバー!
企画担当(IDFCのどん!笑)の塚本沙世です。
今回は運営員が8月のミャンマー渡航にて食べた、ミャンマー料理を紹介しようと思います!IDFCに参加したいけど、食べ物が不安な方必見です!笑
*ちなみに私の携帯にあった写真をもとにブログを作っているので、とても偏りがあります笑
①ミャンマーカレー(ヒン)
ここはIDFCで滞在するホテルのすぐ近くにある、とっても繁盛していたミャンマー料理店です。様々な種類のミャンマーカレーから煮物、そしてサイドの野菜などもたくさんの種類が置いてあり、選ぶのに迷いました。
塚本のオススメは、白花豆(?)を煮たやつです!写真で少し黄色っぽいやつですが、分かりますかね?ミャンマー料理店に行ったら、必ず食べています!
どんな味?それはミャンマーに来てからのお楽しみです♪
ちなみに隣に座ってた Ivory(ミャンマー側運営)は、ライスサラダを頼んでいました。ご飯とお茶の葉が混ざったものらしいです。何気に美味しい。
②ホテルの朝食
これはホテルの朝ごはんに載っていたもの。冒険して頼んでみました。炒めご飯の上に、炒めてとろみをつけたキノコ類がのっていました。これはミャンマー料理じゃないかもしれないな?と思いつつも、こんな料理もミャンマーにはあるんだよということで共有します。
ちなみに、ホテルの朝ごはんは最高なので期待していてください〜♪
③トーフーウン
これ!見た目からしてなんだかわかりませんよね笑 これは「トーフーウン」と言って、豆腐あん?がのった混ぜ麺です。ずっと食べてみたかったので、今回初挑戦してみました!味はイマイチでしたが、なんとミャンマーでは豆腐を食べる文化があるんです!また、「トーフジョ」と言って、ひよこ豆でできた豆腐の揚げ物などもあり、同じアジアなんだなと感じる場面でもありますね。
④シャンカオスエ
私が一番大好きなミャンマー料理です!シャン州の料理で、ミャンマーの油そばです。お店によって味が違い、毎回渡航時には色々なお店のを食べ比べています。甘辛いタレと、甘酸っぱいお漬物と一緒にいただきます。本当に美味しいです!
他にも、ロッテリア、KFC、地元で有名な「おいしい寿司」レストランにも行きました。ちなみに、お寿司屋さんのオーナーは日本にて修行を積んだ板前さんです。日本語も喋れて、ふと日本にいるような気持ちになるようなレストランです。(奇妙なメニューもたくさんありましたが笑)
おまけ:疲れ果てて寝ている運営員の図
************
いろいろとお料理を紹介しましたが、他にもたくさん運営委員は試食してきました!これも、参加者がお腹を壊したり、体調を崩さないための準備です!
やはりミャンマーはまだまだ、衛生面で気をつけなければいけない場面がたくさんあります。日本と同じような感覚で行動してしまうと、確実にお腹を壊してしまいます。
なのでIDFCに参加される皆さんも、くれぐれ注意しましょう〜!
事前研修などで、渡航時の注意点などもお伝えするのでご心配なく。万全の準備で、参加者の皆さんがプログラムに臨めるよう日々、準備しております!
上映中『クワイ河に虹をかけた男』〜日本とミャンマーの歴史を感じる〜
永瀬隆さん。
彼は生涯かけて、奥さんと二人三脚で日本の戦後処理を続けました。
永瀬さんは、戦時中、陸軍通訳としてタイに勤務していました。
日本軍は、タイーミャンマー間に鉄道を建設していたのです。
それも長さ415km (当時では10年かかるはず) をわずか1年3ヶ月で完成させました。
建設に取り組んだのはだれか?
東南アジアの人々はまだ予想をつけられる範囲かもしれません。
でもかれらだけではありません。
イギリス人などのヨーロッパの兵士たちも捕虜として厳しい労働環境で働かせられました。
映画で、元捕虜のイギリス人が、もともと鉄道のあったところで、
永瀬さんを日本人と分かると、ギロッと睨みつけているシーンがありました。
・・・けっして拭えない、拭いたくない日本への憎しみを感じました。
イギリス人でこんなにも日本を憎んでいる人がいるのかと、恥ずかしながら知る機会になりました。
ミャンマー人も本当にたくさんの人々が捕虜として働き、死んでいきました。
かれらの骨はきちんと埋められていません。
そのままでした。
横浜に、イギリス人など日本で捕虜として働かされた西欧の人々の墓地があるのをご存知ですか?
これは永瀬さんも協力し作られ、いまでは毎年セレモニーも行われています。
その光景を見てなんのセレモニーかなと立ち止まる人。
はたまた通りすがり墓地が広がっていたら「なにかな〜」ぐらいでも思う人がでてきます。
わたしが観に行ったときは、上映後にトークイベントもありました。横浜にあるその墓地をきっかけに捕虜についての研究を始めた二人の日本人女性がご登壇されました。
墓地とはなにか?
ぼろぼろになるまで働き疲れて死んでいった人々がそのままでいいのでしょうか?
ほったらかしはもってのほかだと思います。
そして、きちんと墓地を管理することも大切だと強く感じさせられました。
タイで働かされて、一人家族の元へ帰ることもできなかったインドネシア人もいます。
永瀬さんのおかげで帰ることができた方もいましたが、そこで生涯を過ごした方もいました。
捕虜の一人一人にまで向き合ったことがありませんでした。
というか戦後処理について、メディアでは慰安婦問題がよく取り上げられていて、ひたすら日本を責め続ける韓国に嫌気もさしていたのが正直なところでした。
永瀬さんは、捕虜と人として出会い、戦後もただ一人日本の戦後処理を続け、結婚してからは奥さんと二人三脚でタイになんと135回巡礼をしました。
永瀬さんにとって、戦後処理は国レベルだけではなく、個人レベル、じぶんごとだったのです。
IDFCで日本とミャンマーの学生がどうしたら交流できるか?
真の交流ってなんだろう?
うわべじゃない、おたがいの良いところもわるいところも受け入れ合う機会をつくりたい。
相手のこともじぶんごととして考えられるような関係が、
日本とミャンマーでできたらいいなと思っています。
戦後処理についてまだまだ自分の答えが見つかっていませんが、
もっとアンテナをはっているようにしたいなと思いました。
『クワイ河に虹をかけた男』現在中野で上映中!
そのあと全国各地で上映していきます。
是非是非観に行ってみてください!!!
IDFC 和田幸子
西垣充様インタビュー記事~ミャンマーを最も知る日本人~
西垣充様プロフィール
1996年ミャンマーに赴任、98年から起業。19年間ミャンマーに根を張り、日系企業の進出支援、旅行手配や取材コーディネート、視覚障害者支援等を行っている。幅広くミャンマーの発展に貢献し、ミャンマー関連のセミナーに登壇することも数多い。ミャンマーを最も知る日本人のひとり。
ミャンマーで人材紹介・派遣、進出コンサルティング、旅行・取材コーディネートなどの事業を行っているJ-SAT Consulting Co., Ltd. の代表取締役。
IDFC準備のために夏にヤンゴンに渡航した際、ミャンマーに詳しい西垣充様にインタビューをさせていただきました!
ミャンマーってどんな国?
なぜずっとミャンマーでお仕事をしているの?
日本の学生が今ミャンマーに行く意義は?
様々な質問を投げさせていただきました。
Q. ミャンマーでビジネスをすることになったきっかけはなんでしょうか?
就職活動を終えてから行きたいと思いながら行けずじまいだった東南アジアへ旅行しました。
最初ベトナムに行ったのですが、当時1994年からすでに活気がありました。そのベトナムで日本人の方にお会いした時、「ベトナムはすでに僕みたいな人がいるんだからミャンマーの方が面白いよ!」と言われたんです。
それで、ミャンマーへ行きました。バンコクから飛行機でたった1時間くらいしか離れていないのに、なぜこんなにも違うのだろうとショックを受けました。
なんとかしないと!と思ったんです。そこからでした。
Q. 不安はなかったのでしょうか?
それよりも使命感の方が強かったです。
今もミャンマーをもっとええようにしないとって勝手に思っています 笑
Q. J-SATが大切にされていることは何でしょうか?
我が社J-SATは、「社会にインパクトを与える先駆者となる」、また「みんなが成長できて楽しいを目指すこと」を大切にしています。
後付けではありますが、J-SATのSは「成長」できて、A「安心」できて、T「楽しい」の3つです。
写真: J-SATの職場
—確かに社員が安心して生活できることって大切ですよね。
とても大切なことです。
ビジネスは利潤を追求する点についてネガティブなイメージもつきまといますが決して悪いことではありません。社員がきちんと生計を立てられる安心を与えることができます。
多くのNGOで見られる限界は助けるところを的にしていること。この仕組みだけでは被支援者が自立することが難しいと感じています。
例えば、視覚障害者が働くマッサージ店「ゲンキー」を始める前。彼らはNGOからマッサージ技術を学んでいましたが、そこで支援は終わってしまっていました。
彼らが本当に望んでいることは何でしょう。彼らは技術を学ぶことが目的ではなく、技術を使いお金をきちんと稼いで独立できることなのではないでしょうか。
自立支援たるものは、被支援者が生活費を稼げるようになること。
したがって、そこに利潤を生み出す仕組みを作らなければならないのです。
視覚障害者マッサージゲンキーは現在ビジネスとして成り立っていますし、ゴール(モデル)を見せるとわかりやすく、マッサージをやりたい視覚障害者は急増しています。
ただ、ここで大事なのはビジネスが手段であることを理解していること。
日本の学生で社会起業家になりたい!という人が増えているようですが、社会起業家になることが目的化してしまっているように感じます。
ビジネスは仕組みであって、その前に取り組む社会課題とお金を恒常的に生み出す仕組みを見つけなければいけません。
困ってる先に商売があるのだから、その点をまず明確にするべきです。
Q. 西垣さんは大学生や新卒のミャンマー人とも長年関わっていらっしゃいますが、彼らにどんなイメージを持たれていますか?
起業したい!という人たちが多いですね。
―IDFCは主にミャンマーの大学生と活動をしているのですが、私たちも彼らから起業したいという声をよく聞きます。
私たちはJ-SATとして、ミャンマー全域で17大学、ヤンゴン内で8大学にて、キャリアセミナーを開催しています。
「起業したい人?」と質問すると、
たくさんの手が挙がるんです。
「じゃあ何年後起業しますか?」と聞くと、
「3年後!」とか返ってきます。
とあるアンケート調査で、ミャンマー人の98%が3年先までしか考えていないことが判明したことがあります。
起業したいと言う学生は多いのですが、その道しか知らないからなんです。
かといって、起業の仕方、起業した先のことはこれと言って考えられていない。
私たちのキャリアセミナーでは、3年よりももう少し先の10年後のことも見据えてキャリアを考える機会などを作っています。
Q. ミャンマーの教育や就職に関わる社会問題はあるのでしょうか?
ミャンマーでは大学進学率わずか10%代であり、一学年あたり20万人程しかいません。さらに、その大学卒ミャンマー人でも就職先がなかなか決まりません。
—じゃあそれ以外はどうなってるのでしょう?
ミャンマー国内では仕事が十分ではないため、海外に出稼ぎにいくことが多くなっています。さらに、
ミャンマーでは人身売買が深刻な問題となっています。
それも、売春目的で特に被害に遭う女性だけではなく、男性もかなり売られています。
ここヤンゴンでも起きています。
最近聞いた話では、
田舎から都内へ出てきた彼らは仕事がなかなか見つからない。
そして彼らは「タイの工場に行け。いい賃金で働けるぞ」と言われ国境を渡るんです。
しかし、行ってみたら法定に満たさない厳しい環境で働かされる。
しばらくして今度は「船に乗ったらもっといい環境で働けるぞ」と言われて。
でもそのあと乗せられるのはインドネシアの闇漁船。これに乗ってしまうと人々はもちろん近づかないし、インドネシアは島がいっぱいあるから気付かれない。
船にミャンマー人を送り込む旅、送り出し者は一人当たり日本円で約9000円もらうことができる。
ミャンマー人たちは約4時間睡眠で約20時間働かされる。麻薬も入れられるものだから、意識もないまま体がボロボロになるまで働かされる。
歯向かってリーダーになるミャンマー人は捨てられる。
このことは、最近ようやく世に明らかになった事実です。
インドネシア政府の調べによると、今年になって無人島からミャンマー人やカンボジア人が今年だけで8000人ほど出てきたそうです。
人身売買が問題となっていることを知っているミャンマーの若者いますが、ここまでひどいことを知っていた人は少なかったようです。
Q. 日本の学生が、ミャンマーへ今行く意義はなんでしょうか?
「ミャンマーはこれからだ」「今こそミャンマーが熱い」なんてポジティブな報道がよくされていますが、様々な問題が山積しています。
メディアで取り上げられているミャンマーはほんの一片でしかありません。
ビジネスをやるにも何をやるにも、まずはどんな問題があるのか、現実を見ることが大切です。
私は学生時代、カナダへ行きました。
バンクーバーで、内戦から逃れてきたラオス人やソマリア人、また、天安門から逃げてきた中国人たちに出会いました。
日本でただ学生生活を送っていただけでは知ることができなかった世界でした。
—なるほど、そしたらカナダは西垣さんの人生において一つの大きなチェンジをもたらした経験だったのでしょうか?
そうですね。カナダに行ってなかったらミャンマーにも来ていませんでしたね。
やっぱり学生のうちに海外に出た方がいい!
異国の人たちの価値観に触れることは、その後の自分の判断材料になり肉になる。
Q. 最後に、西垣さんにとってミャンマーとはどんな国でしょうか?
自分から何かしに行くというより、やりなさいと言われているような感覚です。僕に与えられた場所、「生きる主戦場」でしょうか。
長くいるとなぜそんなに住んでらっしゃるんですか?ってよく聞かれます。
でも、「そんなの知りません」というのが正直なところです。
用はなかったら当地に留まるのは難しいと思います。
今ミャンマーにいるのは、いろんなご縁があってこそです。
ご縁が導いてくれた先がミャンマーだったというだけです。
とても貴重なお話ありがとうございました!
この記事が、皆さんがミャンマーへ行くご縁になることを願って…
ミャンマーの中の日本~乗り物編~
こんにちは~ 実行委員のゆうどうです!
今回はミャンマーで発見できる「日本」について、"乗り物"の観点から少しご紹介します。
まずは自動車。
経済成長が加速するミャンマー最大の都市ヤンゴンでは、日々数多くの車が往来しています。そして実は、その車の大多数が日本の自動車メーカーのものなのです。
ヤンゴンでの移動は基本的にタクシーとなるのですが、乗るタクシーは100発100中で日本のメーカーの車です笑
そして、バス。
タクシーより安い交通手段としてバスがあるのですが、こちらも多くが日本メーカー。
日本で活躍したバスが遠く離れた地、ミャンマーで人々の足となりヤンゴン市内を駆け巡ります。ただ、乗り心地は日本とは違いスリル満点です。
日本とミャンマーの強い結びつきがひしひしと感じられますよね。
乗り物に注目してみるのも、ミャンマー、ヤンゴンをより知り、楽しむためにアリかもしれませんね!