IDFC2019第4回 なんでIDFC?~ビリの参加者がなぜ代表に!?~ 奥山りつ
ミンガラーバー!
IDFC2019実行委員で今年度代表を務めている奥山りつ(写真右)です。
立命館大学国際関係学部の4回生で国際経済学を専攻しています。
今回は気付けば現実行委員内で一番の古株になっていた私が、今回2回目の実行委員を務めようと思った理由についてお話しようと思います!
私が初めてIDFCに出会ったのは大学1回生のときで、参加したのはIDFC2016(創立2年目)でした。IDFCに参加した理由やそこでの苦い思い出はこちらの記事で、
そこから1年空けてIDFCに帰ってくるまでの過程はこちらの記事で
触れているので割愛させていただきます。
突然ですが、IDFCの実行委員をする人ってどんな人だと思いますか?
今の大学生って本当に様々な機会に恵まれていて、留学、インターン、バックパッカー...等々いろんな可能性があると思います。その中で、なんでIDFCを選ぶんだろう?とふと考えたことがありました。
私はこの問いへの答えは「何かを得たい人ではなく、成したい人」だと考えています。
私は正直、去年実行委員になったばかりの頃自分の成長を念頭に置いていました。言い換えれば何を得たいか、です。
もちろん、参加者に機会を提供したいという思いはありましたが、「IDFCにはキレキレの先輩もいっぱいいるし、自分もそうなりたい。」「1年間やりきったって言い切れる経験が欲しい。」「いろんなことするからスキルアップできるだろうな。」という気持ちは自分の中で大きな割合を占めていました。というのも、それまでの学生生活の中でほとんどやり切った経験がなかった私にとってIDFCは一発逆転のチャンスだったからです。そんなこんなでいきなり出戻り女の私は副代表を務めさせていただくことになりました。
IDFCでは5月にある引継ぎ合宿に向けて、全員がWill Can Mustシート(どうなりたいか、そのために何が今の自分にできるか、何をしなければならないか)を記入し、部署もそれに基づいて決定していきます。
その中で私が書いていたことはこんなことでした。
今年の3月にこのWill Can Mustシートの振り返りをした際に、短期目標に関しては割と達成できたなという感触があったのですが、1年前に書いたときに低く設定していた覚えはないので、随分自分自身変わったのだなと実感したことを覚えています。
恐らく、1年間で私は当初の思惑通り「何かを得た」のだと思いますが、1年を終えて振り返ったときは自分の成長にはあまり目が向かず、どこまで参加者に対して価値が提供できたのかという「何を成したのか」に目が向いていました。
つまり、自分のIDFCで活動する上での目的が、自分から参加者へ自然に向くようになったということです。
それはなぜか。
常に判断軸が明確だったからだと思います。
IDFCで活動する中での判断軸は、ズバリ、Visionである「ミャンマーと日本の若者が自ら交流機会を創り、将来に向けて関係を築いていく」と、Mission(先日の実行委員合宿で刷新したもの)である「リーダーシップの育成」「日緬のプラットフォームへ」にしっかりと繋がっているかどうか。
面白いアイデアややりたいことはメンバー個々に持っていますが、果たしてそれってIDFCなの?とそんなときに判断基準となるのがこのVision Missionです。
そんな判断基準を大切にしながら1年活動を行っていると、自ずと責任感や組織だって考える力、そして何を「やらないか」といった優先順位をつけて決めていくといった決断力がついてきました。
そんな風に書くと、さもうまく行っていたように聞こえますが、むしろ壁にぶつかっている時間の方が長かったと思います。
一番苦しんだのは「共通認識を作ること」。ここに、私がもう1年実行委員を務めようと思った理由があります。
それぞれが思っている当たり前が違ったり、持っている情報が揃っておらず本番になってあたふたしたりと1年間の中でのボタンの掛け違いがすべて本会議になって露わになったことで、IDFCの足りない部分に気づかされました。
それは、「組織の基盤づくり」。5年目ともなるとこれまでのノウハウや経験が蓄積されてきますが、それぞれの部署が何をしているのかが不透明だったり、進捗が見えなかったりとまだまだ不透明な部分が多いことを課題に感じ、次の年、もっと実行委員会の中から無駄な部分を効率化し、もっと新しいことに挑戦することができるようなシステムを導入、定着させることによってVisionの達成に繋げたいと思い、代表に手を挙げました。
IDFCの組織基盤を強化することで、IDFCで「成し遂げたい」という思いを持った実行委員が動きやすい場を創り、一丸となってVision達成に一層近づく、そんな1年にしていきます。