拝啓 IDFC2020へ

こんにちは、代表のりつです!

先日大学を卒業しいよいよ社会人生活の始まりが迫ってきました。

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まずは、IDFC2019を支えてくださったすべての方に心からの感謝を伝えたいです。IDFC2019は両国開催という団体として初めての挑戦をしましたが、スポンサー、助成財団、個人サポーター、後援団体、アドバイザー、OBOGの皆様の支援なくしては決して成し遂げられませんでした。

そして、一年間を通して常にこの本会議を成功させるために切磋琢磨して尽力してくれた両国の実行委員一人一人に本当に感謝しています。また、私たちがここまでできたのは紛れもなく参加者のお陰です。私たちを信じて参加を決めてくれた参加者全員に感謝を伝えたいです。

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ネットワーキングディナーでの一枚

今回は私が二年間の実行委員生活で感じたIDFCの良さと今年度得た二つの学びについてお話します。

 

さて、IDFCの良さとは何でしょう。

IDFCの最大の強みと弱みは表裏一体で、100%学生が創り上げているという点だと思います。毎年メンバーがほぼ総入れ替えとなる学生団体であるにも関わらず『毎年新しいことに挑戦し続ける』というカルチャーがあるのです。このカルチャーはたまたま、過年度の実行委員たちが『やりたい!』と心から思えることを見つけ、毎年その想いを形にしてきた結果であり、決して重圧となるべきものではありません。

しかし、IDFC2019の代表に就任した際、シンプルにこの組織を成長させるにはどうしたらいいのかを考えて、従来のキャンプを踏襲しているだけでは私たちのVisionの達成も組織の継続もあり得ないなと思いました。

両国開催はそんな中で新しい挑戦をしたいという思いから出てきた一つの候補でしかなかったのです。夏までは。 

 

『開催に必要なだけの資金が集まらなければIDFC2019はできない』

 

夏に両国での開催が決まったとき、準備を進めても参加者に提供できないかもしれない、支えてくださる方々の期待を裏切るかもしれない、4年間続いてきたこのIDFCを私の代で潰すかもしれない、という事実に押し潰されそうでした。

その後も信頼しているメンバーが両国開催をやるなら続けられないと実行委員会を辞めていったり、お金が集まらなかったり、参加者募集でなかなか成果が挙がらなかったりと正直良いことばかりではなくて、ふと底なし沼に沈んでいくような気がしました。

負の側面しか見えなくなって抱えている問題を解決することで頭がいっぱいになったときにもらった言葉がありました。それは『自分の能力不足による事態の悪化。仲間や部下や社外のパートナーはどこにも行かない。初めと同じく付いてきてくれるのに。』という当時の私の姿を表した言葉。はっとしました。進んではいたものの、問題に足を取られて今いるメンバーに対してのケアがおろそかになっていることに気づかされました。

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上のノートと同日に書いていたノート

 

良い点、今できることに目を向けて自分の行動を変え、他のメンバーやOBOG、外部パートナーたちに積極的に働きかけたとき、状況は確かに変わりました。

私が日本で解決の糸口を見つけた頃、ちょうどミャンマー側実行委員たちの快進撃でどんどん状況が好転していきました。

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ミャンマー人実行委員から新規のスポンサーを獲得したと聞いたときの感動は今でも忘れられません。

ここまで頼もしいカウンターパートを持てた私たちは本当に恵まれていました。日本人実行委員たちの努力にはもちろん刺激をもらいましたし、ミャンマー人実行委員たちのプロフェッショナル意識と継続的なコミットメントには圧倒されました。文化的な違いや言語の壁を乗り越えて、資金面、コンテンツ面共に当事者意識を持って本会議を実行できたIDFC史上ベストの年だと胸を張って言えます。

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そんなIDFC2019というIDFCにとっての転換期の日本側代表を務めさせていただけたことは私の人生の中での宝物のような経験です。

 

私はこれまでの人生、辛いこと・嫌なことがあったときは常にうまく逃げてきました。相手の表情を伺い、相手の言って欲しそうなことを話してきました。でも、今年度初めて向き合い続けることで二つの大きな学びを得ました。

一つ目は『組織の中で大きな決断を下すとき、全員が納得する便利な解決策などない』ということ。ついついみんなの意見を聞き入れて折衷案を選びたくなりました。でも、そんなものはなければ、そんなものを中途半端に決めて進めても結局後で歪みが出てくる。では決断の軸は何なのか。それは、『この組織のVisionに沿って今後この組織を継続させるにはどうすればいいのか、と参加者にどんな経験を提供したいか』です。

二つ目は『信頼関係の構築』と『共通認識の醸成』です。

信頼関係なしに運営や準備はできないし、共通認識なしに実行はできません。信頼関係の構築にはオンラインのみならず、オフラインでIDFC以外の話(恋愛とかテスト勉強が大変だとか)をするような時間も大切です。共通認識の醸成にはドキュメントやリストを作成し、見える化して、その認識の背景(ミャンマー・日本の文化の違いとか)まで説明して理解することが大切です。

当たり前だろ!と思うのですが、これをVision・Missionから参加者への配布物に至るまで徹底することは意外と骨が折れます。

でも、だからこそ共通認識がうまく取れて参加者に良い形で提供できたときの喜びもひとしおなのです。

 

こんな偉そうなことを言っていますが、代表として完璧だったわけでもないですし、時には情けなかったり頼りなかったこともあったと思います。

それでも、今の私の姿はきっと1回生のとき参加者だった頃の私が見たらびっくりして信じてもらえないと思います(笑) 

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渡される側(IDFC2016)から

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渡す側(IDFC2019)へ

私事ですが、大学1年次でのIDFC2016参加後、次年度に控えていた留学との兼ね合い、そして自信の無さから実行委員に手を挙げませんでした。一年を通し、別の大学・団体で活動をし、ふと留学を終える時期になってIDFCでの経験が頭に浮かびました。


多様な参加者が集まって、似ていないけど同じ方向を向いている感覚。多くの社会人との繋がりを持ち、参加者に成長の機会を提供する姿勢。マンダレーで体調を崩して寝込んだ私に、お粥とポカリを持ってきてくれたマネジメントのマメな気遣いへの感動。


「今ならIDFCに、別の環境にいた出戻りだからこそ出せる価値があるかも」「参加する側じゃなくて、新たな参加者に人生の変わるような経験を提供する側に周りたいな」そんな思いで帰ってきました。


二年やってみて思ったこと、それは「いろんな大学、学年の人と、休学も留学もせずここまでできちゃうんだ。」ということ。

IDFCは学生だからこそ与えていただけるビッグチャンスじゃないかと思います。

財団やスポンサーの方々から資金提供を受け、様々なセクターの方々にサポートを受けながらも、スポンサーやOBOGの指図をほとんど受けずに、その年の実行委員が達成したいことを、ゼロから作っていく。しかも1年で、大学に通いながら。

参加者のときに見えていたIDFCと、実行委員から見えるIDFCは違います。自分がどれだけ動いて、リソース(お金、ネットワーク)や共に運営する仲間を動かし、自分と組織のゴールを達成できるかにかかっているのがIDFC。


だからこそ、IDFCの実行委員になるかどうかは「できるか」じゃなくて「やりたいことがあるか」です。


IDFCは「びっくり箱」みたいなもので、何を出すかを決めるのは、その年の実行委員です。そんなIDFCだからこその資金繰りやメンバーマネジメントの難しさももちろんあります。しかし、大きな壁がいくつもあるからこそそこを越えたときに見られる参加者の喜んでいる表情を見たときの感動は言葉では言い表せないほどです。

 

次の年がどんな年になるか、私もわかりません。

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IDFC2019参加者の恵奈ちゃんと面談中

6年目、恐らく今年度とはまた違った壁にぶつかることと思います。OBOGも上手に活用しながら乗り越えて、さらにアップデートされたコンテンツを参加者に提供することで、IDFCに関わる全ての人に達成感と満足感を与えてくれたらそれほど嬉しいことはありません。

そして、英語も話せずビリっけつで参加者選考を通過した一回生の頃の私を支え、代表に徐々にしてくださった皆様、心からの感謝でいっぱいです。

私は一番能力が高いから代表になったのではありません。IDFCをもっと良い場にしたいという思いをもって自信がないながらも立候補して、そんな私を周りのメンバーが支えて、時には叱りながら少しずつ代表にしてくれたのです。本当に三年間私を育ててくださってありがとうございました。

 

最後に...IDFCは参加者と実行委員だけのものではありません。応援してくださり、関わろうとしてくださる方々全員のものなのです。来年度も是非一緒にIDFCを創り上げてくだされば幸いです。どうぞ来年度もIDFCをよろしくお願いいたします!

一年間本当にありがとうございました!

私にとってのIDFC2019

ミンガラーバ!副代表兼企画の甚平です!

先月ついに本会議が終わりました!

まず日本ミャンマー同時開催を実現してやりきった実行委員、私たちを支えてくださった多くのサポーターの皆さん。

本当にありがとうございました。

本会議が終わった今、達成感と同時にやり残したような気持ちもあります。

この1年間は決して楽な道ではなく、自分の存在意義について悩んだことも何度もありました。

しかしその度に仲間に支えられ刺激しあって最後まで自分や仲間を誇りに思っています。

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日本とミャンマー側のIDFC2019実行委員たち

改めてチームで成し遂げる大切さ、個々の力を発揮して大きなものを実現する喜びを感じました。

その反面、私は言語の壁に悩まされました。

言ってることが理解できたり自分の考えを持っていてもそれを言語化する能力がなければ何も考えていないのと同じだということを身を以て感じました。

それと同時に欠落している技能を補うために前準備をすることの大切さを学びました。

私は企画としてIDFCに関わってきて先のような個人的な学びもありますが、プログラムを提供する部署として参加者に両国開催を通してお互いの国について知り、参加者同士が議論を重ねて知識を深め合ってくれたことに純粋に喜びを感じました。

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シンポジムでの集合写真

それと同時にサイトビジット先の選定の不十分さ、スケジュールの管理の甘さなどまだまだ課題があります。

基本的に1年で実行委員が入れ替えの学生団体にとっていかにここでの課題を問題視し、改善していくかか重要となってきます。

IDFC2019の総評としましては様々な大きな課題とぶつかりながらも両国開催を実現できたことは全実行委員が邁進した結果です。

しかし、参加者選考、財成、ミャンマー側との関係性など代を経るごとに大きく変わっていて今年の大きな課題でもありました。

その中でIDFCが軸を残しつつ適応して進化していくか。それは現実行委員の課題でもあります。

私たちが成し遂げてきたことがどう未来へつながっていくのか楽しみです。今後とも進化し続けるIDFCを何卒よろしくお願いいたします。

IDFC2019⇒IDFC2020⇒…

こんにちは、ミンガラーバー!
渉外・企画のあさみです。

早いものでIDFC2019の終了から数週間が過ぎ、事後滞在を終えた日本側実行委員も全員帰国し、報告会準備や報告書の作成などIDFC2019の完結が近づいてきました。

まずはじめに、IDFCを支えてくださったスポンサー・助成団体・後援団体の皆さま、サポーターの皆さま、OBOGの皆さまに心より感謝申し上げます。
そして、学生生活の中の大切な11日間をIDFCで過ごすことを決めてくれた26名の参加者、一年間共に走り抜けてくれた実行委員の皆さんにも、感謝を伝えたいです。

 

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ヤンゴン大学で行われたシンポジウムにて

IDFC史上初となる両国開催が終了した現在、私の心にあるのは満足感です。
実行委員として過ごす1年は大変だろうという予想はしていたものの、実際に過ごしてみると予想以上に困難の連続でした。

Pre-IDFCでの両国開催に関する議論はもちろん、個人的にも渉外として必要な資金は集められるのか、企画として質の高いコンテンツを作れるのか、代表や副代表という立場にない自分だからこそ果たす役割は何なのか…など、常に模索の連続でした。
あまり悩まない性格の私ですが(笑)、時に頭を抱えて立ち止まったりすることもありました。

それでも諦めることがなかったのは、やはり両国開催の実現という同じゴールを目指し協働する実行委員の存在があったからこそです。

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意見がぶつかったことは数えきれない程あったし、思わぬところで認識のずれがあったり、情報共有漏れがあったり、自分の英語力が不足しているせいでうまく言いたいことが伝わらなかったりと、失敗はたくさんあります。

しかし、ミャンマー人だとか日本人だとか関係なく、個人対個人として向き合い、尊重しあい、互いに理解しようとするプロセスを丁寧に積み重ねた結果が、信頼関係の構築、そしてスムーズな本会議の運営に繋がったと思っています。

だからこそ、Awarding Ceremonyで参加者の笑顔と涙を見た瞬間、そして別れ際に実行委員の一人一人とハグをした瞬間、「IDFC2019を、"完璧"ではなくとも"納得のいく形"にできた」という達成感や満足感が胸に溢れました。

私は休学をしたので大学5年生になりますが、これまでの4年間にサークルや他の学生団体、インターンやバイトでも、これほど「やりきった!」と感じたことはなかったかもしれません。
2、3年生の実行委員にとっては挑戦や成長の場となったであろうIDFCは、大学最終学年の自分にとっては集大成の場となりました。
自分の学生生活の中でIDFCをどのように位置づけるのかによって、リーダーシップを学ぶ場にもフォロワーシップを学ぶ場にもなりうるのだと思います。

 

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設立5周年のIDFCは未熟であり、組織の体制作りや外部とのネットワーク構築など課題は多くあります。
だからこそ、今後も日緬の学生たちがIDFCというプラットフォームを利用して挑戦し続けることで、組織と自分自身を成長させることを、イチOGとして楽しみにしています。

どうぞ今後ともIDFCをよろしくお願いいたします!

日本開催の実現の先に

ミンガラーバ、こんにちは!

日本側実行委員の甚平です。

キャンプが始まってから、気づいてみれば残り数日となってしまいました。

日本開催は3日間という短い期間でありながら、とても密度の濃い数日間で一瞬で終わっていました。

今回は参加者全員が初めてあった日、日本開催初日に関して改めて振り返りたいと思います。

最初に参加者たちが顔を合わせたのが、初日の2月10日(日)の昼でした。

みんな若干緊張をしながらも早速和気藹々と会話をしていたのを覚えています。

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関西の日本側参加者の到着を待っているところ

 

はじめに全員の自己紹介が終わった後、日本文化紹介を日本人参加者が行いました。

書道をしたり、けん玉をしたり、甚平を着てみたり、、、、、

日本の文化を通してお互いの距離が縮まった瞬間でした。

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日本文化紹介で折り紙を教えてる様子

仲が深まってきた頃、グループに分かれて浅草寺へと行きました。

ここでも日本人参加者は率先してお香の上げ方や賽銭の方法など自分たちの文化を自ら積極的に教えていました。

日本とミャンマーで共通した仏教が存在する国であっても、伝来の過程の違いや作法、お寺の形など違った部分は数多くあります。

日本の文化を一方的に教えるだけでなく、どのようにミャンマーと違うのか、ミャンマー人参加者はこんなところに注目するのかなど楽しみながらお互いに考えを深めていました。

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浅草寺にて、クイズをしながら境内を見て回りました

ここから始まったIDFC2019ももうすでに折り返し。

学びもあり楽しいこともあり、参加者、実行委員含め全員が充実した日々を過ごした日本開催も終わりました。

参加者たちの本会議の集大成であるシンポジウムやウェブサイトの記事の製作に向けて今どのグループも真剣に準備を進めています。

IDFC初の両国開催で始まったIDFC2019。

容易な道ではないですが、参加者たちの取り組む姿勢や気概からIDFC初の成果をあげられるのではないかと勝手に思っています。

彼らがこの本会議で得たものは何か、新しい価値観とは何か。

それは間も無く明らかになるでしょう。

それではみなさん!事後報告をお楽しみに!

甚平でした!

 

ネットワーキングディナー! 繋がりが生まれた夜

ミンガラーバー!さとしです。久しぶりのブログ執筆ですが、頑張ります。

ミャンマーでの本会議3日目はネットワーキングディナーの責任者&司会進行役となってイベントを開催しました。

 

ネットワーキングディナーのイベントはIDFCのスポンサーの方や講演者の方などを招いて日頃の感謝を伝えるための場であると同時にIDFCの参加者、出席者の方にさまざまな分野で活躍する人と交流して自分のネットワーク(繋がり)を拡げてもらおう!という内容のイベントです。

さて、その開催場所は…

 

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でん!

 

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でん!!

 

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でででん!!

 

 

ひ、ひぇ~!!! 豪華すぎない? 叶姉妹が「ファビュラスざます」と言いそうなプール付きのレストラン…こんなの海外ドラマの中でしか見たことありません。今にも水着美女と細マッチョがショットグラスを片手に躍りながら出てきそうな会場の雰囲気に僕は一気に飲まれてしまいました。



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      ↑海外ドラマのプールによく現れる陽気なパリピのイメージ


 

昔海外ドラマで見た陽気でパリピな主人公は派手な音楽と流暢なトークで見事に場を盛り上げていましたが、パリピウェイとは真逆の僕のようなコミュ障陰キャが司会進行(しかも英語)をするのは、至難の業です。スポンサーの方を何十人も招待したフォーマルな雰囲気のなか、滞りなくイベントを進めなくてはならないのは責任重大すぎる…絶対ミスが無いようにせねば。

 

さて、そんなことを考えているうちにスポンサーの方が集まってきたのでネットワーキングディナーの幕開けです…。

 

「Ladies and Gentlemen, welcome to the Networking Dinner in IDFC2019!」とイケボで開式を宣言したのはもう一人の司会進行頼れるブライアン兄貴。

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僕も負けじと「Ladies and Gentlemen, please welcome the president of Japan Committee, Ritsu Okuyama!!」とスピーチ係の代表を呼び込みます。若干噛みましたが、この部分は普段何回も聞いているプロレスのリングアナウンサーのコールを参考にして台詞を作っていたおかげで上手くアナウンスすることができました(笑)

f:id:idfc-jp-2016:20190217011711j:plain↑気分は名リングアナウンサーの田中ケロさん。でも緊張で顔が引きつっています…

 

喫食タイムの間はIDFCの参加者だけでなく、スポンサーの方や出席していた全員が本当に楽しそうでした。特にIDFCの参加者の一人があるセミナーで感銘を受け、その講演者の方とお会いしたら感極まって泣いてしまったという話を聞いたときは本当にこのイベントを開いてよかったと感じました。

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↑交流を深めるIDFC参加者とスポンサーの方々

 

f:id:idfc-jp-2016:20190217013436j:plain↑感極まって泣いてしまった参加者

 

そして「Thank you for coming today! チェーズーティンバーデー、カウンドーニャーバー(ありがとう、よい夜を)」と閉式を宣言した後も出席者の歓談や写真撮影が止まることはありませんでした。出来ることならずっとあの光景を見ていたかったです…。おかげでほかの実行委員に予約が21時までだから早く帰ってもらって!と怒られてしまいましたが(汗)

 

 


その後、なんとか全員にもお帰り頂き、イベントを終わらせることが出来ましたが、実はこのイベントまでは僕のミスの連続でした。

スケジュールを決めるのが遅れたり、出席者の荷物につけるネームタグを作るのを忘れてしまったり…極めつけはイベント中に流すムービーが前日の夜に出来ていなかったり…自分のポンコツさを発揮してしまいました。


でもその度にほかの実行委員仲間がスケジュールを作るのを手伝ってくれたり、ネームタグを一緒に急ごしらえで作ってくれたり、ムービーの編集をかわりにしてくれました。

 



f:id:idfc-jp-2016:20190217004755j:plain↑大急ぎでネームタグを作成中の僕とりょうすけさん

死ぬほど周りに迷惑をかけまくっているのに怒りながらも僕のことを手伝ってくれて「司会お疲れ様!」と労いの言葉もくれるのです。実行委員の絆、チームワークが無いとあり得ないことだと思います。

 

ネットワーキングディナーの出席者以上に実行委員内のネットワーク(繋がり)を意識できた、そんな夜でした。それではみなさん、次のブログもお楽しみに!!

 

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日緬の架橋への一歩~Myanmar-Japan Friendship Night~

ミンガラーバー!
日本側実行委員のあさみです。

早いもので本会議もいよいよ中盤を迎えました。
本日は、日本開催期間中で最も印象的だった出来事について書きたいと思います。

2/11(月・祝)、"Myanmar-Japan Friendship Night"が開催されました。

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「日本でお世話になっている方々との交流機会は作れないだろうか」
「日本でしか会えないミャンマー人の方との交流機会は作れないだろうか」
「日本でのIDFCの知名度をもっとあげられないだろうか」

そんなジャストアイディアから企画が始まった本イベント。
日頃お世話になっている財団・スポンサー・個人サポーターの皆さま、OBOGだけでなく、IDFCの活動に興味を持ってくださる方やミャンマーに関心がある方々をお招きするパブリックイベントです。

今回私は率先してこのイベントの企画を行っていましたが、集客や来場者の満足度など、正直なところ不安だらけ。

それでも、上記にあげた理由、そして「IDFC初の日本開催の様子を、多くの方に見ていただきたい!」という想いで、何とか本番を迎えました。

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当日。
受付には列ができ、あれよあれよという間に会場が人で埋め尽くされました。
自分でご招待しておきながら、予想以上の来客数にびっくりです(笑)

司会を担当した日本側実行委員の甚平、ミャンマー側実行委員のSuも、次から次へと訪れる来場者の皆さまを見て、緊張でかたまっていたものの、息のあった進行でイベント開始。

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甚平はミャンマーの民族衣装・ロンジーを、Suは浴衣を着ました♪

イベントでは、IDFC設立者の橋本悠さんのスピーチや…

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ミャンマー側参加者による伝統舞踊の披露、

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さらに近代のファッションの変遷を描いたファッションショーも行われました。

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その後は、会場を移動して懇親会を実施。

日頃からお世話になっているスポンサー・個人サポーターの皆さまや、OBOGの皆さん、そしてミャンマーに関心のある社会人・学生の方々30名以上が来場し、参加者や実行委員と合わせると70人超のイベントになりました。

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IDFCではこれまでタテやヨコの繋がりはあったものの、ナナメの繋がりといったものは団体としてなかなか創れずにいました。

しかし今回のイベントを通じて、国と年代を超えた繋がりを生み出すことができたと確信しています。

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IDFC2018の実行委員/参加者たち

 

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2016参加者/2017実行委員、2017参加者/2019実行委員、2014参加者/2016, 2017実行委員。世代を超えて大集結!

さらに、今回のイベントを通じてIDFCを知ってくださった方々もいらっしゃったため、団体内の繋がりの強化だけでなく、外部との繋がりの強化も達成できました。

IDFCを通じて、日本とミャンマーの人々が出逢い、ネットワークを創出していく。
まさに、IDFCが目指している日緬のプラットフォームとしての姿です。

今回のMyanmar-Japan Friendship Nightは、IDFCが日緬の架橋に一歩近づくことができたイベントであったと思います。

今年度のIDFCは残り6日。
日本とミャンマーの若者の、将来にまで続く関係を生み出せる機会とできるよう、引き続き頑張ります!

ブルネイ⇒ミャンマーへ、私にとっての本会議1日目!

ミンガラーバ!

お久しぶりです、さかすです。

実は、本会議が始まってから実に5日経っています。早い!

私は大学の授業の都合と、急遽日本人がブルネイ王室のパレスに招待をいただいたため(ブルネイ史上留学生が呼ばれるのは初!)今日から本会議に参戦しました。

 

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ブルネイにいたころは、毎日FBをチェックしたりして、

IDFC初の日本開催期間を日本でみんなと一緒に感動を味わいたいな、、、

とやきもきしていました。

日本開催期間の感想については、また後程ブログでご紹介できればと思います。

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東京大江戸博物館にて


実は、昨日パレスにご招待いただき、パーティーを途中抜けして直接空港に向かい、深夜のフライトで乗り換え2回、ふらふらになりながらヤンゴンへ到着しました(笑)

 

フライトの都合でランチの後から参加したのですが、今日一日を振り返ってみたいと思います。

 

今回、最も心に残ったのは、紅野さんのご講演です。

今年も多大なご支援をいただいているMPTのCOOである紅野さんは、今回、IDFC今年のテーマである"Seeking New Values"についてお話していただきました。

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Newとは何なのか(完全に"Old"と異なるということ?"Old"も"New"になるのでは?)

Valuesとは何なのか(時代とともに常に変化していくもの)

MPTはなぜ時代が変化して今も存在する?

IDFCはなぜ設立時の海外渡航がほとんどできなかった状況から変化した今も存在する?

 

今年のテーマをMPTとIDFCをからめて語っていただきました。

そして、毎年恒例の5 Whyも…!

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紅野さんに5Whyを投げかけられる参加者

心に残ったのは、時代がどれほど変化しても、どれほど両国の状況が変化しても、根底にあるIDFCに対するディマンドは変化しないのではないか、ということ。

海外を訪れたことがあるミャンマー人の参加者が多数を占めた状況の中で(Surprisingly!!!)、それでもどうしてミャンマーの学生たちはIDFCを選ぶのか。

この問いを突き詰めた先に、IDFCの存在理由があると思います。

 

紅野さんのご講演中にもたくさんの興味深い日本人・ミャンマー人の参加者・実行委員両方の意見が出ました。

そのような様々な意見を踏まえた上で、少し私が思ったのは、

MPTとIDFCの根底にあるディマンドは実は共通点があるのではないかということです。

 

MPTは人々とつながりたい、意思疎通しあいたいというディマンドが根底にあると紅野さんはおっしゃいました。

IDFCもそのディマンドがあるのではないかと思います。

 

違う国の人たち、異なる価値観を持つ人たちとつながりたいというディマンド。

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それは、今年のテーマであるNew Valuesを得るためでもあり、相手を知るだけでなく自らも理解してもらう相互方向のディマンドだと思うのです。

 

今、ブルネイで植民地時代の東南アジアの歴史や、第二次世界大戦期の日本の占領の歴史について学んでいるのですが、

もし、両国が真の意味で歩み寄り、優劣をつけず互いに理解しあおうとしていたのならば占領は起きなかったのではないか、と(かなりの理想論ですが)思うときがあります。

理解できないもの・未知のものに対して、好奇心を抱く一方で人間は恐れを抱きます。それを威圧し支配することで克服しようとしていたのではないか、とサイードは著書で述べています。

その恐れを一歩こえて、知らないもの・未知のものに対して「知りたい・つながりたい」というディマンドを深い意味で満たし、個人単位から互いの理解を促進することで両国の架け橋となること。

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それがIDFCなのではないか、と紅野さんのご講演を聞きながら考えていました。

うーん、なかなかうまく言葉にできませんね。

 

もしかしたら、とっても的外れなことを私はブログで書いているのかもしれないですが、それは時差ボケと寝不足のせいだということにしてください。

 

さて、本会議はまだまだ続きます。今後のブログも楽しみにお待ちください!